カサ・バトリョの設計図


写真がそのまま絵葉書用に焼かれている

このときガウディが役所へ提出した面面はごく大雑把で細部などはほとんど描かれていない。まるでスケッチのようなものであるうえ、最上部に至っては現在のものとはまるで違ったものとなっている。ガウディは、このころから巨大なサグラダ・ファミリア教会の建設で学んだであろう設計手法の経験から、ごく大雑把なマスタープランをまず組み立てておいて、その後現場での工事が進行するにつれ、部分部分の検討を重ね、おさまりを決めていくという方法を取っていた。当時の果敢な評論家エウジェニ・ドールス(Eugenio d'Ors Rovira、1882〜1954年)などはこれを指摘して、「ガウディは製図の方法を知らない。夜ごとの夢見でデザインを決める」と皮肉っている。
ガウディは取壊しに反対し,改築を提案したのであろうが、そのかわり構造にいくつかの補強を加えている。まずいくつかの大梁は、当時カタロニアでも使い始められた鉄筋コンクリ—トの工法が使われた。既存の梁は木であるため、これをガウディは、冗談混じりにRCではなくRWと呼んでいた。梁は三つの厚みの薄材がボルトで丁字型に固定されるが、ボルトはせん断、材は圧縮材となっている。バトリョ邸への主階段はふたつの曲線が重複しているため,桁へのねじり応力が問題となるため、真剣に鉄材の断面が研究されたという。

昔はよくあった手書き彩色絵葉書