バルセロナのガウディ建築案内番外編⑨

サンタ・クレウの病院Hospital de la Santa Creu
1401年、マルティン王の参列でバルセロナに一大病院が着工された。これがサンタ・クレウの病院。4病棟がパティオの周辺に配置され、それまで町の何箇所かに分散していた医療施設をここに集結するという一大計画であった。
第1期工事はそのうちの3棟のみで1414年に完成し、100年後に工事は続行された。そして19世紀の末に人口の増加に伴い収容しきれなく、あるいは衛生観念の変化に新しい病院の建設が提案され、ドメネク・イ・モンタネールの設計によってサン・パウの病院を建設するまではここが市のメインの治療施設だった。
このため用のなくなくなった病院の建物は1926年、市役所に建物は買い取られ、補修再建され、現在では図書館、カタロルーニャ研究学院などに利用され使われている。
ちょうどこの1926年、ガウディはこの病院に担ぎ込まれる。6月8日の夕方市電に接触してしまい、誰とも分からないまままず近くのロンダ・デ・サン・ペラの診療所に運び込まれ救急処置を受けるが、頭を強く打っていたために診療所では何とすることもできず、この病院の19番ベッドに移された。すぐに怪我人が偉大な建築家ガウディだと病院で分かると個室に移動されるが、巡回の担当医Trenchas i Boschが右足にも怪我をしていることが分かったものの頭に受けた方が重傷には変わりがない。11時に更にCaratchán, Esquerdo, Gallard医師の診察があったが重態という容態に変化はなく、設備の整った私設のRibas y Ribasの病院へ移し治療をしようとも検討されたが、高齢でもあり、容態は重傷であるには変わらないので移動は無理という判断がされた。それでも昼には意識が一時戻り、ガウディはサグラダ・ファミリアのParés神父を呼ぶように要求した。その頃には世間でもその大事件が知られ、市長は担当者を病院に送り込み詳しい事情を聞かせに走らせ、夜にはグエル、マルトレイ(いずれも2代目)など親しい人たちもガウディのベッドに駆けつけた。7時の夕食にはそれでもヨーグルトを食べた。しかし翌日の午後5時10分意識が戻らぬまま、ガウディはサンタ・クレウの病院で永眠。 

所在地:carrer Hospital
アクセス:(L3) Liceu下車徒歩15分