2011-11-01から1ヶ月間の記事一覧

プロジェクト

カサ・デ・ロス・ボティーネス正面ファサード 右手がヒル・デ・オンタニョン 1992年3月撮影計画は1891年12月に完成し、同年末にレオン市から建築認可が下りている。しかし、ガウディはすぐに建設にとりかかることをしなかった。というのも冬の積雪に工事の中…

サラマンカの大学

メイン・ファサード パティオ

サラマンカ旧カテドラル

旧カテドラルは新カテドラルに隣接している 交差廊のキューポラを新カテドラルから見る サラマンカ旧カテドラルセクション Vicente Lampérez Romea著 Historia de la Arquitectura Cristiana Española en la Edad Media I,1908年刊より

3/8力サ・デ・ロス・ボティーネス

カサ・デ・ロス・ボティーネス正面ファサード 1976年5月撮影このようにアストルガ司教館建設のため,しばしばその地を訪れなければならなかったガウディは,その機会を利用して隣接のレオンにもうひとつの計画を残している。それはグエイの友人である繊維商…

サラマンカの新カテドラル

威容を誇る新カテドラルの姿、ルネッサンスのカテドラルのランドマークとしてのシンボライズされたカテドラルと似ている 巨大な身廊の側面 交差廊部分見上げ 僧籍が身廊中央に立ちふさがっている これはスペインではほぼこのスタイルになっているのだが、身…

アストルガ司教館プラン

ガウディの原案にそって後年描かれたアクソメ図 ガウディの現場からの撤退で完成できなかったとされる屋根の構造

サラマンカのマヨール広場

マヨール広場 正面は市役所 アペリティーフ 1981年9月10日撮影 現在の国王、王妃のメダリョン フェリペ2世 そしてフランコもある 広場の外側はこうなっています

インテリア

1971年10月19日撮影 地下はドライエリアとなっていて、地下とはいえ明るい空間ができています 柱はグエイ館同様、上部荷重によって形状が違うようになっています キーストーンは御影の塊が吊り下げられるように見えます 1975年5月 1992年3月

サラマンカ Salamanca

サラマンカは学生の町としとして世界中から若者を集めている。スペイン語の外人コースがある。さらに近年ではユネスコによって世界遺産としてこの町の中心部にある旧市街が指定されたせいもあってか、外人の観光客が町中にもいたって多い。町を歩いている外…

エントランス

メインアクセス このリブを飾っているセラミックはアストルガ近郊にある地方では有名なセラミックの産地で作らせたもので、中は空洞になっています 窓の建具が若干面白いものになっています

アストルガ司教館のおさまり

窓は部分的に開けられるようになっているが、これが標準的なデザイン 上部はフックス、下部のみが一部開口可能、ステンドが入っている 換気、採光用にファサードには色々なところにバラの形の開口がある ドアにもあるがアストルガ司教の紋章がここでは石で刻…

レオンのサン・マルコス

現在パラドールになっているサン・マルコスの修道院は古くは12世紀にサンチャゴの巡礼者のために修道院が巡礼者の病院を併設するという形でできました。16世紀に着工、18世紀に今の姿になり、その後も色々な用途として使われていましたが、1964年以降はパラ…

アストルガ司教館の現在

ローマの市壁、カテドラルに囲まれるようにしてある司教館 中央に見えるのが司教館の問題となった屋根 メインエントランスの特異なアーチ 上部がポインテッド・アーチで下部がほぼ円形アーチになって、これが下で押し込まれたような形となっている ガウディ…

レオンのカテドラル

正面ファサード 1975年5月撮影 2009年6月1日撮影 ] 2011年10月31日 1205年着工のこのカテドラルはブルゴスのカテドラルと並び、典型的なフランスゴシックのスタイルをとっている。特徴は15世紀までの完成までほとんど原案を踏襲しているため、スタイルが混在…

レオンのサン・イシドロ

外観 これはPeritzとかいうフイルムが昔スペインでは売られていて、この色です Agfacromeのコピー商品という感じのメーカーでしたが、お金のない旅行者にはこれでも高かった記憶がありますね しかし現在は駐車できなくなっていますがこの3台の車は70年代の…

ガウディの構想

さて、ではそのガウディの構想とは何だったのか。 館の置かれた位置は背を暗いバラ色のカテドラルの鐘塔、側面をローマが築いた市壁に守られた平坦なサイトである。館自体はグレーの花崗岩であるためカテドラルとのコントラストがしばしば議論されたものであ…

レオンのローマ遺跡

ローマ時代建設のサン・マルコの橋 床の仕上げがもう少し何とかならないかなと思いますが そして手すり、これも現在の法規的な制約があって、こうなってしまったのでしょうが、どうんなものでしょうか ローマ時代の市壁 市壁の内側はレンガなど廉価な材料で…

アストルガ司教館のゴタゴタ

この幸先の悪い出発と同様,結果も必ずしも運のよいものではなかった。というのも内輪のもめ事を一手に解決し、建設委員会を牛耳っていた、また建築家への全幅の信頼を寄せていたグラウ司教が旅先で死んでしまうからであった。ガウディはそれから間もなく、…

サン・フェルナンドの意見書

サン・フェルナンドの美術アカデミーは政府の代理として、教会建築のプロジェクトに意見を述べることを委ねられているわけだが、その意見は「承認できうる」という必ずしも望ましい回答ではなかった。アカデミー教授連によれば,屋根の構造的な弱さ、窓枠の…

León2011.10.31

アストルガよりも更にローマ時代から重要な都市レオンは、歴史がローマ以降も確実に蓄積され、現在の町の中に残されている。といってもここで見学したかったのは、ローマの市壁、ロマネスクのサン・イシドロの教会堂、ゴシックのカテドラル、ルネッサンスの…

実施設計図面

焼けてしまった旧司教館 ガウディがアストルガ司教グラウに送ったブループリント 配置図 地階編面図 一階平面図 二階平面図 屋根裏階平面図 北西立面図 南東立面図 横断面図 縦断面図以上Maria Teresa Alonso Gavela著"Gaudí en Astorga", Institución Fray …

アストルガの町

アストルガの町散策 着いですぐに入ったバル・ガウディ 色んなお菓子が売られていたが、これはカステラの一人用ヴァージョン こちらは"聖人の骨"という名前のお菓子 カテドラルすぐ横の教会 市役所前広場 どこにでも見られるバルコニーのスタイル モデルニス…

ガウディのプロジェクト

1887年のガウディといえば、グエイ館の建設に着工し、サグラダ・ファミリア教会の地下聖堂建設、グエイ別邸建設、市役所改造計画、カディス海運博、トラスアトランティカ社パビリオン、それにアンダルシアと北モロッコの旅行をしている。年齢的には35歳とい…

アストルガのカテドラル

カテドラル内陣 メイン・ファサード 内陣

3/8 アストルガ司教館

ジョアン・バプティスタ・グラウ・イ・バジェスピノスJoan Baptista Grau i Vallespinós (1832〜1893年)アストルガ司教としては1886年以降務める。レウスの人グラウは1886年10月16日、アストルガAstorgaの司教として当地に赴いた。アストルガはかつてのレオ…

Astorga2011.10.30

Renfeが売り出しているTren Hotel 鉄道で旅行するというのはあまりないけれども、今回は夜行列車で行くことにした。目的地はレオン。夜の9時10分発の寝台車930号でサンツからGijónへ行く列車が途中Leónで止まる。コンパートメントを二人で使う、シャワー付き…

ガウディのオリジナル図面

コロニア・グエイ カサ・ビセンス カサ・バトリョ・スタディー

アプス周辺

1974年11月撮影 修復された石膏のモデル 2006年7月9日撮影 2002年1月21日撮影

アプス

1885年のサン・ジョセップの日、地下聖堂では最初のミサが開かれ、1891年にはヴォールトがかけ終えられ、第一期工事は終了する。第二期はアブス部周壁で、1891年から93年である。しかし第二期工事の始まるころ発案者であり、「サン・ホセ崇拝者精神会」の扇…

ガウディ死後50年

1926年6月10 日にアントニ・ガウディが没し,今年でちょうど半世紀となる。バルセロナではこれを記念して,いくつかの行事が孤高の天才建築家に棒げられた。 6月10日には市役所内で「ガウディ友の会」の会長バセゴダ氏による講演「ガウディの建築」があり,6…