2012-03-01から1ヶ月間の記事一覧

地下聖堂外回り

図版154〜158

図版154〜156 La Boqueria (San José) ラ・ボケリアの市場(またはサン・ホセの市場)。 モデルニスモをガウディ、ドメネク、ブーチ、ジュジョールといった当代に活躍した代表的な建築家の作品だけで語るのは、あまりに危険だ。1876〜86年のいわゆる力タルー…

ガウディの戦場

左官,石工の数に比べて、雇われたカメラマンの雇用日数が1910年85日分、1911年年66日分というように極めて多い。それらの写真は現物が残っていないので果たしてどういう具合に建設に助力したか正確には分からないが、恐らくそれをもとにガウディはマスター…

図版152・153   Harinera Teixido

テイシドー製粉工場。 ラファエル・マソ・イ・バレンティ作、1910〜11年。 1906年にバルセロナの建築学校を終え、マソ(Rafael Masó i Valenti、1881〜1935年)はモデルニスモ期の教育を受けながら、職業人となってまもなくノウセンティスタとして大成してい…

現場主義

また教会全体の色調もガウディが残した"ケーブル模型"の写真上にグアッシュで描かれたスケッチからみると下部が土と同じ茶色、上に行くに従って松の幹のような銀めっきをした灰色、最上部が木々の頂部のごとく緑から暗紫色、青系統の色というようになってい…

図版150・151  Palau Quadras

クァドロス邸。 プーチ・イ・カダファルク作、1904年。 プーチのバラ色の時代の後は,新しいブルジョアジーのエリートたちのために、実用的で整理され、壁を白く塗った白い時代がくるが、この時代の作品にはトゥリンシュエット邸に(Casa Trinxet、1904年、現…

図版147〜149 La Masia Freixa

フレイシャ邸。 リュイス・モンクニル。イ・パレジャーダ作、1907年。 カタルーニア・ヴオールト工法というのが中世からこの地方にはある。それは職人の日常的経験が積み重ねられて、型枠なしで平レンガを連続させてヴォールトを架けるという離れ業である。…

地下聖堂

完成された地下聖堂は、傾斜面を利用し、さらに空堀の設置により半地下化し、内部には窓からのかなりの光量が入るようになっている。その窓は上部が鋭角、下部が丸い三角形で、いかにも小烏が口を開けているかのようで、その上端にはモザイクで十字が刻まれ…

図版145・146 Circule Liceo

リセオ劇場、リセオ・サークルのサロン。 リセオはオペラの劇場として1844〜48年の問にミケル・ガリーガ(Miquel Garrida Roca、1804〜88年)の原案によって設計された。1862年には火災にあい、ジョセプ・オリオール・メストレス(Josep Orior Mestres,1815…

教会の全体構想

建設された地下聖堂は、楕円平面で四つの部分に分けられていて、右手に地上部へ登る螺旋階段がある。ボーティコに近い部分つまり入口に近い部分がいわゆる地下聖堂に当たり、レベルの高くなっている後方三室が役室である。聖堂部は五身廊形式であるが、楕円…

ガウディ言葉

『それは設定され、普遍化された方程式の幾何学図形ではないのです。強度,位置そしてそこに働く荷重の方向によって個々のケ—スに生み出された曲線なのです。』 またそれは次のような方法によって法定されたようである。 1. 概略的な構造システムを考慮した…

図版140・141  Can Negre

ネグレ邸。 ジュセップ・マリア・ジュジョール作、1914〜30年。 ある意味ではガウディ以上にガウディだったのがジュジョールなのだが、彼が生れた時代というのが、すでに遅すぎたのかもしれない。彼はガウディが死んだ後の30年代、すでにドールス(Eugeni d’…

図版137〜139  Casa Bofarull

ボファルイ邸。 ジョセップ・マリア・ジュジョール作、1914〜31年。 ガウディの多くの弟子たちのなかで、ジュジョールほど建築家らしくない建築家はいなかった。ジュジョールはいってみれば、器用貧乏であったために、廃品を組み立てて、ダダ以前にダダイス…

図版137〜139  Casa Bofarull

ボファルイ邸。 ジョセップ・マリア・ジュジョール作、1914〜31年。 ガウディの多くの弟子たちのなかで、ジュジョールほど建築家らしくない建築家はいなかった。ジュジョールはいってみれば、器用貧乏であったために、廃品を組み立てて、ダダ以前にダダイス…

ケーブル模型

ガウディは10年間を"懸垂模型"と呼ばれるもので設計していた。これは設計などと言う綺麗ごとではないのかもしれない。むしろ実験と言った方が正確なのかもしれない。この懸垂模型とは日本の大工が墨糸を利用して描いた"縄だるみ曲線"のようなものである。も…

図版133〜136  Bodega de Garraf

ホデーガ・デ・ガラーフ。 ベレンゲール+ガウディ作、制作年不詳。 巨匠に謎はつきもの。ガウディの直弟子でガウティ没後,最初にバイオグラフィーを出したラフオイスですら、ボデーガ・デ・ガラーフをベレンゲ一ルの作であるとした。確かにへレンゲール(Fr…

図版125〜132 プーチ・イ・カダファルク

図版125〜128 Els 4 Gats (Casa Martí) 4匹の猎(カサ,マルティ)。 ジョセップ・プーチ・イ・カダファルク作、1895〜96年。 プーチは1917年まで多彩な建築活動を、バルセロナ市内はもちろん、マタロの資産家たちの避暑地であったアルジェントーナやガリー…

4/8 コロニア・グエイ教会

グエイは1898年、サンタ・コロマのコロニーに労働者のための教会建設をガウディに依頼している。しかしその建設は十年後の1908年10月になってからであった。ガウディは依頼を受けてから着工までの10年間を構想と立案とその実験に費やしていたのである。その…

僧席の装飾

僧席はありとあらゆるテクニック、素材で飾られている。無論それにはジュジョールの貢献なしにはあり得ない。ルビオは無論優秀な弟子であったのには違いにけれど、ジュジョールの桁外れなイマジネーションはすでに老年であったガウディをくすぐり、若返らせ…

図版121〜124 Casa Amatller

図版121 Casa Amatller カサ・アマトリェ、大階段。 1891年に建築家のタイトルを得たプーチは、ドメネクよ18年、ガウディより13年遅れたバルセローナ建築ラッシュ華やかな時期に、しかも彼らより幅広い知識を身に付けてスタートすることができた。まず、プー…

マジョルカ島パルマの身廊

スペインのカテドラル始め規模の大きな教会の多くは身廊部の交差廊手前の外陣に僧席を設けるのが常である。ブルゴス、トレド始め、もと透明感のあるレオンのカテドラルですら僧席が置かれている。この場合正面から入った時アプス部にある最大祭壇が見えない…

図版 116〜119  Hospital de Sant Pau

図版 116・117 Hospital de Sant Pauサン・パウ病院、病棟。 ドメネ・イ・モンタネール作、1902〜12年。 《ドメネクが設計した数多い作品の中でも最大規模なのがサン・パウ病院で、敷地はサグラダ・ファミリア教会より更に外れる北方の145,470㎡2という広大…

パルマのカテドラル家具

人には夫人が付けるガーターだと笑われた照明器具

図版115   Casa Lleó Morera

カサ・リェオ・モレーラ、ファサード部分 ドメネク・イ・モンタネール作 国際ホテルは、160mのファサードを持つ仮設建築で、驚異的な63日という工期でそれを完成させている。レンガ1つ割られることのないような設計寸法は完璧にモデュール化され、構造、建具…

創造とは

さて、ガウディによって手が加えられたカテドラルは、このように修復というより、むしろ改装である。しかしここでわざわざマジョルカ島の修復という言葉を使ったのは彼自身の次の言葉に対してである。 『これは改装ではありません。修復なのです。それに限定…

ルビオ、ジュジョール

1904年6月19日にガウディの協力者ルビオはパルマに着き、修復工事が始められて同年12月8日に第1期工事が終了している。この時に聖歌隊席は内陣に移され、バロック風の祭壇彫刻は外され、祭壇の天蓋、説教壇などが設置された。これがほとんど修復の大筋ともい…

図版 108〜114   Casa Lleó Morera

モデルニスモについてはこちらもどうぞ。 http://www.facebook.com/?ref=logo#!/groups/59040510311/ 図版 108〜110 Casa Lleó Morera ドメネク・イ・モンタネール作 カサ・リェオ・モレーラ、ダイニング・ルームのモザイク・パネル。 カフェ=レストランテ…

図版105〜107  Palau de la Música Catalana

図版105 Palau de la Música Catalana カタルーニャ音楽堂、ギヤレリー部分。 ところが歴史とは皮肉なもので、現代になってガウディの研究書が全世界で1000種近くも発行されているというのに、ドメネクは時代の象徴的な作品を数多く残しているにもかわらず、…

カンピンス司教の依頼

1901年夏、当時のマジョルカ島パルマの司教ペラ・カンピンスPere Campins i Barceló(1859〜1915年)はローマを訪ねるに当たり、バルセロナへ出たときそこで建設中の贖罪教会とその建築家を訪問し、すっかりその高名な建築家を気に入ってしまい、特に彼の説…

図版100・104  Palau de la Música Catalana

図版100・101 Palau de la Música Catalana カタルーニャ音楽堂 ドメネク・イ・モンタネール作、1905〜08年。 ドメネク・イ・モンタネール(図版19解説参照)ほど世紀末建築の流れを正確に掌握し、しかも、指導的な立場にあって、それを実現していった建築家…