2011-10-01から1ヶ月間の記事一覧

スペイン戦争に消えた建築家

トーレス・クラベ自画像トーレス・クラベ回顧展 トーレス・クラベという建築家がスペイン・カタルーニャにいた。しかし今となってはだれが彼の名前を記憶にとどめようか。まったく忘れられてしまったかのようだ。現代建築史の中にも。まずは登場してこない。…

ビジャールからガウディへ

地下聖堂ヴォールト部分 1974年4月撮影さて、1883年末にサグラダ・ファミリア教会建築家となったころのガウディの教会建設に対する構想をここで見てみることにしよう。ビジャールの三身廊のブランはマリーナ通りと平行に、つまり南北(正確には南東と北西)を…

ビジャールの後任としてガウディが

ボカベージャは建設委貝会の一員であり、友人でもあるマルトレイにこれを相談するのであった。マルトレイはプロジェクトがスタートした当初、無償で計画案を提供したが、実際にプロジェクトがスタートしてからは当然のように設計料を請求した、この事件は裁…

巨石時代のメノルカ Part 2

巨石時代のメノルカ メ ノル力島というのは西地中海にあるスペイン・バレアーレス諸島の最北にある。面積からすれば,このバレアーレス諸島の第二島であるが,それでも702Km2という小島である。メ ノルカに人類の痕跡が認められるのは紀元前4000年頃からで,…

サグラダ・ファミリア教会着工

こうして神意は1881年の12月31日に建設用地をバルセロナの郊外に与えたのであった。敷地は現在ではバルセロナのエイシャンプレEixampleと呼ばれる地区の中に位置するが、当時は隣接の町にあった。このエイシャンプレは400x400のグリッドを一辺ごと3つのブロ…

巨石時代のメノルカ Part 1

巨石民族 巨石文化の世界同時性が一方で説かれている。それによれはば,ストーン・ヘンジ、マヤのビラミッドブ、カルナックの石列群,インド・デカン高原の巨石、マルタ島のムガール神殿,アイヌが残したというメンヒール,あるいは大和の古墳をも含めてひと…

3/7 サグラダ・ファミリア教会建築家

発起人のボカベージャ サグラダ・ファミリアのミュージアムに飾られているボカベージャの肖像画「この贖罪教会の最初の礎石を置く。この教会は聖家族の大いなる名誉と光栄のためであり、弛緩せる気力をそのなまぬるさから目覚めさせ、信仰を高揚させ、勇気と…

サグラダ・ファミリア教会

プーチ・イ・ボアダがガウディ生誕100年に合わせて出版したサグラダ・ファミリアの本。このカバーが気にいっている。サグラダ・ファミリアの塔部分は実は手で張り込んであるのだ。写真ではよく見えないのだが、白い縁取りまではカバーで印刷、この上に断ち切…

ガウディの同輩ドメネク

マルトレイに見込まれて、バルセロナ・カテドラル正面ファサードのコンペ案の題字を描いたドメネクについては以下のリンクをご覧ください。モンタネール・シモン出版社 http://d.hatena.ne.jp/Arquitecto/20110808/1312779982 ナバス邸 http://d.hatena.ne.j…

70年代のご誕生のファサード

ボイーガスらが動いたサグラダ・ファミリア建設反対運動に寄せられた電報 1973年度の募金運動に合わせて新聞が出したキャンペーン 1972年3月 1972年5月 1973年1月 1973年2月25日 1973年9月 1973年11月 1973年12月 1974年6月 1974年7月 1974年11月 1974年12月…

ジョアン・マルトレイ

コミージャスのSobrellanos宮(1878年) この建物はグエイの義父であるコミージャス候のためにマルトレイがデザインしたもの 左手にあるチャペルも同じくマルトレイの手になっているのだが、中にはガウディの家具が入っている さらにガウディはここにエル・…

御受難のファサード Part 3

この点を,現在の教会の主任建築家ルイス・ボネット・イ・ガリ(Lluís Bonet i Galí)氏はこう語ってくれた。「図面や模型のすべてをなくしてしまったのは,全く残念である。しかし模型をどうやって再現するのか,我々はそのすべを知らない。図面は実は新しい…

3/6 一枚の図面

ガウディも参加したカテドラル正面ファサードのコンペ案ここに一枚の図面がある。ガウディのプロジェクトではない。しかしながらこの図面の重要さは力タロニアの19世紀後半の建築的状況を余すところなく語るところにあり、その歴史的価値は多大である。その…

御受難のファサード Part 2

ガウディの弟子たちが後年描いたサグラダ・ファミリアのプラン 形態的には宗教的象徽と典礼の合理性を求め,たとえぱスペインの教会堂の常である僧席を主正面と主礼拝堂間に置くことを止めている。ことや.主礼拝堂の裏側の巡回廊を閉鎖せず,柱で囲むことに…

グエイ邸 プライベート・スペース

グエイの寝室 洗面 天井 柱頭部飾り 暖炉 妻イサベル・ロペスの寝室 右のドアから繋がっている プライベートなサロンにある暖炉 暖炉部分 ここにはSeñor no apartes de ti hogar tus ojos(神よ家族から目を離さないでくれ)と書かれている イサベルの化粧室 …

サグラダ・ファミリア教会御受難のファサード

左手に見えるのがご誕生の門、中央がアプス、さらに右手にはご受難の門がある 2011年10月23日撮影1882年3月19日,サン・ホセの日,当時のバルセロナ郊外サン・マルティン・デ・プロベンサルス市に「サン・ホセ崇拝者精神協会」は一つの贖罪教会の最初の礎石…

ソルソーナのミュージアム

ソルソーナのミュージアムのある司教館 このファサードはネオ・クラシックの典型 新石器時代のポーテリー 塩の結晶か 石でできた身の回りにある品物 薬局で使われていた家具

グエイ館建設当初の様子

グエイ館からの眺め

ちょっと脱線してしまいますが、グエイ館からの眺めは中々面白いですね。

サグラダ・ファミリア教会着工

こうして神意は1881年の12月31日に建設用地をバルセロナの郊外に与えたのであった。敷地は現在ではバルセロナのエイシャンプレEixampleと呼ばれる地区の中に位置するが、当時は隣接の町にあった。このエイシャンプレは400x400のグリッドを一辺ごと3つのブロ…

ソルソーナの町Solsona

カルドナからソルソーナへは車で30分。司教区があるソルソーナはカルドナよりもさらに歴史がある。産業があるとも思えないのだが活気がある。ここに来たかったのはソルソーナ司教博物館Museu Diocesà i Comercalがあるからだ。この地方都市といえどもソルソ…

グエイ館の鉄細工

エントランスのパラボラ・アーチに取り付いている門扉の鉄細工 境界線に取り付く防犯用の鉄細工 グエイ館 1886−88年、ガウディの生涯のパトロンであったエウセビ・グエイEusebi Güellの居館として建てられたこの建物は、ファサードはルネッサンス、内部はネ…

カルドナの日曜市

奥に見えるのがカルドナの城です ソーセージ類というのは色々あるのですが、左のは卵が入っています Ventallóのは砂糖が入っていましたが、この黄色は卵です 平たいのはベーコン しかも燻製にしたあります 右のはペースト状になっていてパンの上に塗るように…

カルドナの教会 Colegiata de Sant Vicenç

カルドナの城の中にあるこの教会は51x23.5mという中々の規模である。この教会の存在はすでに980年に記録されている。建設が始まったのは1019年前後ということで、1040年には奉納されている。その後1592年まではカルドナの有力者たちが、修道長の管理下に運…

グエイ館屋上煙突群

グエイ館屋上

屋根裏階 当時は女中部屋となっていた吊り階段を登って屋上に出ると、ここにはまったくのガウディの特異な世界が広がっている。そこは外被の窓割の穏やかな表情とは打って変わって、ガウディが求めた詩の世界がある。しかも世間の目から最も離れた、それとも…

Cardona

バルセロナからは90キロ少々の距離にカルドナのパラドールがある。距離からも気軽に行け、しかも歴史的に非常に重要なものがここに残っている。だけども考えたらまだ一度も泊まった事がなかった。ここにある城がパラドールなのだが、ほぼ全面改装というか何…

グエイ館食堂

主階のパティオ側には5.5メートル幅で20メートルという細長い食堂とダイニングが連練した3つに分節された空間があるが、材料を置き換えているとはいえ、これは明らかにアルハンブラ宮の「裁きの間」をコピーしていると言えよう。暖炉、腰壁が両端のスペース…

Olius

カタロニアの北部、アンドラ侯爵国への旧街道からもそれて800人ばかりの小さな村オリウスがある。ここはロマネスクの教会、サン・エステバンと最晩年というえるかもしれないベルナルディ・マルトレイ・イ・プーチBernardí Martorell i Puigというガウディシ…

ビラノバのモデルニスモ

現在老人施設となっているモデルニスモビラノバのモデルニスモ 作者が分かりました。カサ・パイサCasa Pahissa, ジョセップ・マリア・ミロ・グイベルナウ作Josep M. Miró i Guibernau、クライアントはセバスティア・ソレール・ミロSebastià Soler Miróで建設…