2012-04-01から1ヶ月間の記事一覧

ガウディとガウディたち Vol. 4

1768年、新たに陸軍大将として就任したリクラ侯は、この都市環境の現状を市に対して無規制であるとして勧告を発している。条文のほとんどは、職人たちの占める1階の手工業の仕事場や、小さな店舗の急増に起因している悪化した街路の整備というものに関してで…

モサラベの建築風景 Vol. 4

サン・バウデリオ・デ・ベルランガ Sant Baudelio de Berlanga 11世紀初め/ソリア近郊/モサラベというキリスト教世界における回教建築というアンバランスを空間に最も明確に表現しているのがこの建物。聖人の修行のための庵であったのか、農村の礼拝堂であっ…

ガウディとガウディたち Vol. 3

工業都市化へのバルセロナ モデルニスモのバルセロナを語るにはどうしてもこれより150年は溯らなければならない。 1705年から14年まで、カタルーニャは王位継承戦争に巻き込まれて、その継承者フェリペ5世に対し叛乱起こしたのだが、フランスと一つ台併軍に…

モザラベの建築風景 Vol.3

サン・ミジヤン・デ・コゴージャSan Millan de Cogolla ログローニョ近郊/ 929年/サン・ミジャンは6世紀にこの地方で隠遁生活をおくった聖者で、10世紀に入ってこの地にサンチョ ,アパルカによって一つの教会堂が奉納される。最も古い部分と考えられている…

ガウディとガウディたち Vol.2

ガウディたちのモデルニスモ ガウディをバルセロナの街に訪れた人々は、一様に日本の本棚から見る一種異様な、いわゆるガウディ様の特異性や突飛性とは違った印象をバルセロナの街で受けたことだろう。このバルセロナの街でガウディは必ずしも孤高の建築家で…

モザラベの建築風景 Vol. 2

サン・ミシェル・デ・クシャ Saint Michel de Cuixa 南フランスPrades南/974年/バシリカ形式のこの巨大な堂は、コルドバの力リフ建築の影響がビレネー山脈を越えたことを物語っている。3身廊に7つのァブスが内陣につくという雄大な構成で、内陣と外陣を区切…

ガウディとガウディたち Vol.1

第一章 ガウディたちのバルセロナ グリツド都市での反旗 はじめに かなり前のことだが、マド'リッドでソフィァさんと知り合った時、いろいろ話をしているうちに「スペインというのはずるずる居つく国ですね。」ということを彼女はもらした。そこで、台湾出身…

モサラベの建築風景 Vol.1

歴史風景 10世紀のヨーロッパは混沌としていて、次の11〜12世紀における文化,芸術の開花へ向けて、あたかもエネルギーを蓄積しているかのようなエボックであった。ところが、イベリア半島では少々、事情が違っている。アストウリアス王国が再興し、レオン王…

IV ⑩ モンセラート・リーバス Monserrat Ribas

1947年生まれ。72年バルセロナの建築学校を卒業。78年以降同校でドローイングの」講座を担当。現在ではパースの流行作家として押しても押されない第一人者。私のプロフェツショナルとしての最初の仕事は、ボイーガスから依頼されたパースでした。バルセロナ…

ガウディ、その周辺

アントニ・ガウディに対する不当な扱いや誤解というものがなくなって久しい。過剰気味なほどの出版物の数々は二百に達しようとしている。ところが,それらがこんどは伝説的な物語を生み出し,われわれを悩ましている。ガウディを孤高の天才として浮び上らせ…

IV ⑨ ジャビエール・グエイ Xavier Güell

1950年生まれ。76年バルセロナの建築学校を卒業。現在Gustavo Gili社に専属のコンサルタントとして勤める他、同社から「アントニオ・ガウディ」(邦訳は彰国社から出ている)、「磯崎新バルセロナ・ドローイング」等を出版。オリンピックと並行して行われる…

ガウディの謎 知られざるガウディの作品

1928年,ジュネーヴの国際連盟会館のコンへの最中であった。建築についての(すぐ後に『住居と建造物』として刊行された)の講演をするためマドリッドの大学都市へ呼ばれた。マドリッドでホセ・ルイス・セルト(当時はこの男が誰であるのか知らなかったが)の…

IV ⑧ ジュセップ・ジナス Josep Llinas

個性は建築家としてはバルセロナ一.作品の数も少ないのだが、彼の信奉者は多い。人間味もさることながら、空間の職人芸を磨き上げているのが彼だ。―このインタビューでは、いつも最後にどういつた建築家や建築作品が好きなのですか、という質問をすることに…

イルデフォンソ・セルダ

バルセロナの知られざる都市計画家ガウディが死んで今年でちょうど50年である。この50年、出版物だけでも200に近い数がガウディについて出された。それは少なくとも何らかのガウディの生涯なり、彼の建築空間、あるいは芸術論を知る上で貢献したことであろう…

IV ⑦ エミリー・ドナート Emili Donato

1934年、フィゲーラスに生まれる。父が哲学者。先後バルセロナに家族で移住。美術学校へ入学するが、途中で建築に転向。60年バルセロナ建築学校を卒業。独裁政権時代には、共産党員として入獄の経験もある。現在は自称レジスタントの建築家として孤立した設…

サグラダ・ファミリア教会御受難のファサード

1882年3月19日,サン・ホセの日,当時のバルセロナ郊外サン・マルティン・デ・プロベンサルス市に「サン・ホセ崇拝者精霊協会」は一つの贖罪教会の最初の礎石を置いた。 この日の教会の記録によれば,「この贖罪教会は……聖家族の大いなる名誉と光栄のためで…

ガウディ死後50年

1926年6月10 日にアントニ・ガウディが没し,今年でちょうど半世紀となる。バルセロナではこれを記念して,いくつかの行事が孤高の天才建築家に棒げられた。 6月10日には市役所内で「ガウディ友の会」の会長バセゴダ氏による講演「ガウディの建築」があり,6…

IV ⑥ ダニエル・ナーバス+ネウス・ソレー Daniel Navas+Neus Solé

1953年バルセロナに生まれる。77年建築学校を卒業すると共に、同年生まれのネウス・ソレーと協働、79年から事務所を構える。ポスト・オリンピックの代表的建築家となるだろう。 ―あなたはオリンピックが92年に開かれるので、そのために直接あるいは間接的な…

IV ⑤ カルロス・マルティ Carles Marti

1948年生まれ。バルセロナの建築学校を卒業後。76年から同学校で教鞭を」とる。現在5年生の」“計画”の講座を担当。アントニオ・エルメストと共同で公園を多数実現しているほか、雑誌「2C」の副編集長も務めていた。地味とはいえ理論家としても活躍。―まず、…

ガウディとフォンセレ

ジョゼップ・フォンセレ・イ・メストレ(Josep Fomtserè i Mestres; ?1897年)の名は.われわれにガウディの名と共に記憶されている。フォンセレはいわゆる建築家ではなく,Maestro de Obraであつた。このマエストロ ・デ・オプラとは、より実際的な仕事から…

「気まぐれ邸」の気まぐれ

エウセビオ・グエルの義兄弟にあたるコミージャスの第二侯爵の娘婿であるディアス・デ・キハ一ノは,コミージャス(サンタンデール県)に,侯爵およびグエル伯を通じてガウディにヴィラの設計を依頼した。このヴィラは1883年〜85年に建設された。これが「気ま…

IV ④ ジャウマ・バック Jaume Bach

1943年生まれ。73年頃から現在の共同者ガブリエル・モーラと事務所を設立する。中堅建築家のうちでも比較的派手な作風。バルセロナ・オリンピックの仕事も多く抱える忙しい売れっ子のひとり。 ―73年の頃というと、ちょうどラファエル・モネオがバルセロナヘ…

カサ・ミラーボスト・モダンの標石

レボート カサ・ミラーボスト・モダンの標石 丹下敏明「この建物が将来一大ホテルへ転用されたとしても私は少しも不思議とは思いません。そのために平面構成の変更が容易であるように考慮してあるし,また洗面所もたくさん設けてあるのです。」 一ガウディ一…

IV ③ ベス・ガリ Beth Gali

1950年生まれ。インダストリアル・デザインのデザイナーとして活躍した後、建築に耘向する。バルセロナの建築学校を卒業。 80年のエスコルシャドールの公園コンペて入賞したのを始め,都市公園等の作品を残すほか,現在はIMPUのサブ・ディレクターとして…

コロニア・グエルの地下聖堂

スペイン,バルセロナ,サンタ・コ口マ・デ・セルベジョ,1908~15 アントオ・ガウディ・イ・コルネ CRYPT OF GÜELL COLONY Santa Coloma De Cervelló. Barcelona. Spin/1908 -15 Antonio Gaudí i Cornetちょうど10年前のことになる。今から考えると僕のスペ…

IV ② エリアス・トーレス+J. アントニオ・マルティーネスElias Torres+J. Antonio Martinez

エリアスは1944年生まれ。アントニオは1941年生まれ。 68年バルセロナ建築学校を卒業以降、共同して事務所を開いている。エリアスはもともとイビサ出で,島での仕事も多いが、事務所はバルセロナに持っていて、大阪花博に参加、スペインの数少ない輸出建築家…

5/4死

ところが、巨匠の円熟期の全精力を打ち込んだサグラダ・ファミリア教会計画の完璧化とその建設のシステム化は、1926年6月7日の午後に起きた思いがけない出来事に方向を見失ってしまうのであった。 ガウディはこの日、地下聖堂に吊り下げるアラバスターと金属…

IV ① オスカー・ツゥスケッツ Oscar Tusquets

1958年、建築の勉強を始める。バルセロナの建築学校を64年に卒業。この間コレア=ミラの事務所で働く。STUDIO PERの一員として事務所を開き。現在はCarlos Diazとの共同事務所も並行して運営。若手建築家のなかでいま一番波に乗っているのがトゥスケッツ。 ―…

ピナクル

最初のビナクルは1926年の初めに終了しているが、既に74歳を迎えているガウディは一度も鐘塔には登っていない。この代行者は一番弟子のスグラーニェスである。そのビナクルには十四面体が中途にあり、組み込まれた照明具は前方と大屋根を浮かび上がらせ、夜…

バルセロナの92年 Vol.2

―つまり、あなたはそれぞれの設計者に対して、デザインの質を要求しただけではなく、都市との関連づけをも要求したわけですね。 その通りです。オリンピック・リングの場合は、ちょっと例外ですが、パージェ・デ・エブロンの場合を例にとって話すと、現在ま…