2011-06-01から1ヶ月間の記事一覧

カンデラ (2)/ Felíx Candela

これらの初歩的な発見を書いた論文はこのテーマの神秘のベールを剥いだわけです。そして、次に来たのは闘争、執念、そして孤独でした。あるアメリカのエンジニアリング事務所と何年にもわたってこの状態が続きました。まず、彼らに恨みをかわれたことが私に…

カンデラ/Felíx Candela

80年代の中頃フェルナンド・イゲーラスの事務所を訪ねた頃、彼は仕事らしいものをしていませんでした。噂では仕事はアラブのスポンサーがいて、コンペに参加することが彼の生計を立てていたそうです。そんな彼の事務所で紹介されたのが、何とフェリックス・…

ボフィール/Ricardo Bofill-Taller de Arquitectura

Ricardo Bofillリカルド・ボフィール リカルド・ボフィールは、バルセロナの建築学校を中退すると、ジュネーヴに移りポリテクニックで建築の勉強を続けている(1960年卒業)。23歳の時ボフィールはバルセロナ市内に端正なファサード、パティオ側の巧妙なプラン…

ボイーガス/MBM

メリディアーナの集合住宅、Barcelona Tau学校, Barcelona Las Ramblasのオフィス・ビル, Barcelona オリンピック村の集合住宅, Barcelonaボイーガス・イ・グアルディオラ、オリオール(1925年−) Oriol Bohigas i Guardiola 建築家J.M.マルトレイ(1925年− )と…

イゲーラス (2)/Fernando Higueras

“いばらの冠”と呼ばれて 新任した教育者である芸術管理局長F.ベレス=エンピテットは用途変更を決め、70年末日をもって工事をストップさせ、新構想の「国立芸術文化会館」のプログラムに適応させるために、イゲーラスに新しいプロジェクトを依頼するのであ…

フェルナンド・イゲーラス/Fernando Higueras

スペイン文化遺産研究所本部(国立芸術文化会館)、Madrid http://www.fernandohigueras.org/:Fernando Higueras「イゲーラスの未完の傑作 9度目の正直、竣工にめど」 4半世紀の経緯が物語るスペイン建築事情 スペイン、マドリードの大学都市に完成間際で工事…

マドリッドの状況

同時期のマドリーでは“グルーポR”のような明確な建築運動が起こらず、アレハンドロ・デ・ラ・ソタ(Alejandro de la Sota,1913年〜1996年)、サエンス・デ・オイサ(Francisco Javier Sáenz de Oiza,1919年〜2000年)、フェルナンデス・アルバ(Antonio Fer…

コデルク/Coderch

このうちコデルクは途中から脱会しているものの、この時代のもっとも象徴的な建築家であろう。 彼自身はTEAM10の構成員であったのだが、1911年のミラノ・トリエンナーレで受賞、そしてナシオナル通りのアパート(1952〜1955年)ではトラディショナルな構…

グルーポR

一方バルセローナでは1950年頃“グルーポR ”が結成され、地方主義をおし立てながらこの合理主義の再考が計られた。ジリ(Joaquín Gili,1916年〜)、モラガス(Antoni de Moragas,1913〜1988年)ソストレス(Josep María Sostres,1915年〜 )、ボイーガス(Or…

このブログですが

1979年に"スペイン建築史"という本を相模書房から出していただいて、それから早くも30年強。人生の大半をこの地で過ごしてしまいました。今ももちろんスペイン在住ですが、その後も旅を続けてきました。スペインが好きなのでしょうね。それをブログでご披露…

ミゲル・フィザック/Miguel Fisac

フィザックはフランコ政府の体制側の建築家と言われてきました。しかも、オプス・デイとの関わりを何度も指摘されて、当時の反フランコ政府の左翼の建築家からは決して評判は良くなかったのですが、実はこの時代の鎖国的な政治に対してその作品は新しい工法…

戦後から現在へ

40年代のスペイン建築は形式主義、そして観念形態の擬態を背負っている。その様子をよく示したのがエスコリアル修道宮のモニュメンタリズムを描出したグティエレス・ソトの航空省(1943〜1951年)や、戦没者の記念碑であるサンタ・クルス教会(Valle de los …

結核療養所

今日は日曜日近くのG.A.T.E.PA.C.(G.A.T.C.P.A.C.)の象徴的な作品である結核治療所まで散歩しました。 隣接のバロック教会との対比がおもしろい 場所は旧市街の外側、ちょうどセルダによって考案されたグリッド状の拡張地区との隙間にある。 開発の穴場にな…

GATEPACのパリ万博スペイン館

1937年のパリ万博は丁度、政府交代の混乱の時期で、この時セルトらは第二次共和制の依頼でスペイン政府として出展していますが、その時のパビリオンが近年バルセロナに再建されました。 スペイン戦争に消えた建築家 トーレス・クラベ回顧展 トーレス・クラベ…

バルセローナのセルト/Sert

トーレスクラベはいたたまれなくなり、戦場へ出で、しかもあっけなく戦死してしまう。一方親友のセルトはパリの伯父をたよって亡命、その後アメリカへ渡っているが、このセルトのバルセロナへ返り咲きした作品 ミロ・ファンデーション 工事中のミロ・ファン…

GATEPAC

インターナショナル・スタイルを求めての決定的な動きは、しかしながら、1930年10月サラゴサで設立されたGATEPACによってもたらされた。 これはガルシア・メルカダルとバルセローナの動きを集約し、すでにコルビュジェのもとで働いたことのあるセルト…

トロハ/Torroja

かといって新しい建築の動きが20世紀初頭のスペインになかったわけでもない。それは後にカルロス・フローレスによって呼ばれたマドリーを中心とした《25年代の世代 》といわれる一連の若い建築家たちの行動と、彼らの協同作業である。 彼らは新しいスタイル…

第十二章 現代

ミースのバルセローナパビリオン カスティージャでは98年の米西戦争の敗北に中南米諸国を失なったスペインの心情を代表して、悲観的に伝統的ロマンティズムを超越しようという試みである“98年代の世代”を生んでいたのだが、カタルーニャのモデルニスモはこの…

モンクニル/Lluís Moncunill i Parellada

マソもモンクニルもガウディの弟子ではない、世代がずっと若いのだが、学生時代からガウディに傾倒、ガウディ以上にガウディの建築をデザインしたのかもしれない。 製粉工場テイシド/Fabrica Teixido, Girona 同 詳細 同 詳細 カサ・テイシドCasa Teixido, G…

ルビオ/Joan Rubio i Bellver

Flare Blanc(ルビオの傑作、現在はレストランなので中は見学できる) 同屋根 部分 同インテリア Casa Golfred(現在地区の文化センターとして使われている) 同インテリア階段室 カサ・セーラ 生地レウスに建てた

そしてジュジョール/Y Jujol

カタルーニャ美術館蔵、レコードのための家具 バルセロナの住宅のためにデザインされたエレベーター

またジュジョール 

Pallaresosの住宅 これも民家を改装、南側のギャレリーを青く塗りつぶしている。 農機具を解体コラージュを創っています 銅板を叩いて模様をデザインVistaalegreの教会 Casa Planeis

ジュジョールⅡ ネグレ邸/Can Negre de Jujol

サン・ジョアン・デスピという町はバルセロナの郊外にあるのですが、ここでジュジョールは一時期市の建築官となり、自宅すらも作っています。このカン・ネグレは彼の間違いなく代表作のひとつに入るわけですが、改装です。もともとカタルーニャではマシアと…

ジュジョール/Jujol

ジョセップ・マリア・ジュジョール/Josep Maria Jujol Torre de la Creu, San Joan Despi バルセロナ郊外にあるこの住宅はジュジョールのおばさんが可愛い甥が学校を卒業しそのお祝いに設計依頼をしたもので、2世帯住宅としてデザインされた。 1978年撮影 2…

モデルニスタたち/Modernisatas

ガウディの弟子のうちでは、その右腕であったベレンゲール(Francisco Berenguer,1866〜1914年 )やジュジョール(Josep María Jujol,1879〜1949年 )、ルビィオ(Joan Rubió i Bellver,1871〜1952年 )、またそれを取り囲んでいたモンクニル(Lluís Moncuni…

プーチ・イ・カダファルク/Puig i cadafalch

しかしこの1914年カタルーニャ経済の終末まで続くカタルーニャのモデルニスモ期にはガウディやドメニク・イ・モンタネールだけではなく、少なくとも世紀末建築家として登場させなければならない建築家がいる。 プーチ・イ・カダファルク(Josep Puig i Cadaf…

ドメネクとガウディ

ドメニク・イ・モンタネールに比較するならば、ガウディは自然主義によって語られ、彼特異の鉄細工やセラミック、あるいはさまざまな手仕事や中世的な監理法、独自の設計プロセスといったものでそれは飾りつけられているが、彼の創造したものは、コロニア・…

アントニ・ガウディ/Antoni Gaudí i Cornet

カサ・バトリョ屋上煙突 ところがドメニク・イ・モンタネールの建築だけでなく、モデルニスモ建築全般へ、個性的な芸術言語でもって影響を与えたのがガウディであった。彼はビィセンス邸というネオ・ムデハール様式 でデビューし、イタリアン・ルネッサンス…

リュイス・ドメネック・イ・モンタネール/Luís Domènech i Montaner/Luís Domènech i Muntaner

モデルニスモは、ドメネク・イ・モンタネール(Lluis Domènech i Montaner,1850〜1923年)のモンタネール・シモン出版社(1881〜1886年)とガウディ(Antoni Gauí i Cornet,1852〜1926年)のビィセンス邸(1883〜1885年)から始まり、セルダの新都市や、新興…

カタルーニャのモデルニスモ/Modernisme

バルセロナ大学(現在のUB) 1973年撮影 こういった都市計画上の先駆的な提案があったにもかかわらず、19世紀後半の建築界の様子は、マドリーのハレーニョ(Francisco Jareño y Alarcón,1818〜1892年)の国立図書館(1866〜1896年)やバルセローナのロージ…