2011-09-01から1ヶ月間の記事一覧

②構造的な試み

ガウディの構造に対する関心は、既にマタロの工場棟で木製のパラボラ・アーチを実現することでみられるが、グエル別邸では、馬小屋にれんがでそれが組まれ、アーチごとは简状のヴォールトで連結されている。またパラボラ・アーチ自体が装飾化され、あるいは…

アンプリアス Empueiès, Girona

Empuriès2011.09.25 昨日の雨ですっかり青空に変わった今日だ。昨日のメルセの祭りも出かけなかったのは今日を期待していたからだ。アンプリアスは100キロ以上あってバルセロナからはちょっとしたドライブだが、ほぼ高速で行けるので近いといえば言える。 と…

原本はまだ在庫があるようです

http://bookweb.kinokuniya.co.jp/htm/4395001335-1.html

Conimbriga 2011.08.14

コニンブリーガのローマ遺跡跡 モザイクが色々残っていました ミュージアムはローコストの施設でしたが展示システムは良くできていました ViseuからはCoimbraを抜けて明日の予定であるTomarへぬける高速上にあるのがこの遺跡だ。地図上ではそうなんだけれど…

①イスラム・スタイル

①イスラム様式のオーナメントを追求しながら、それが自己流にこなれていること はキューボラ、れんが積み、セラミックにイスラム様式からの影響が見られるにもかかわらず、正面向かって右の門柱のようなガウディ特異なデザインが現れる。門柱にはグエイ家の…

Garraf2011.09.24

午後遅くなってからほぼ思い付いてというか、ぶらりガラーフに行ってみた。今日は朝から雨模様だったから写真を撮るにはどうかと思っているうちに億劫になってしまい家で午後までテレビを見ていた。だから5時過ぎに夕焼けが綺麗だろうという事で急遽出かけた…

グエイ別邸 Finca Güell

これはグエルの別荘として当時バルセロナ市外,現在のペドラルベス宮をとり囲んだ広大な土地の中にあった。ペドラルベス宮は、後年王宮として転用されてからの呼称であるが,その後1920年代後半のディアゴナルの延長に二分されてしまい、現在はバルセロナ大…

スペイン建築史はここで売られているようです

http://books.rakuten.co.jp/rb/%E3%82%B9%E3%83%9A%E3%82%A4%E3%83%B3%E5%BB%BA%E7%AF%89%E5%8F%B2-%E4%B8%B9%E4%B8%8B%E6%95%8F%E6%98%8E-9784782479063/item/48768/

トラスアトランティカ社のパビリオン II

これらのことを総合して推理するとすれば、ガウディはカディスの海運博のパビリオンをパルセ口ナ万国博覧会にも転用できるように考え、カディスのガルシア・力ベーサスに実施投計と現場轚理を委ねる。その視察とタンジール布教館の計画の下見を口実として、…

ガウディの謎 Part 6

7ーガラーフとグエイ伯とガウディ ガラーフとグエイ伯爵、そしてガウディとの関係は,パラウ・グエイの建設開始つまり1885年あたりから明確になる。グエイ館の石切り場はガラーフである。ところがもうひとつ1882年の日付のガウディのサインのあるプロジェク…

3/3 イスラム様式からの決別

トラスアトランティカ社のパビリオン ガウディの第二期、つまり歴史様式の中から自己の様式を探求しょうという時期のうちイスラム様式の盗用の作品は、グエイ別邸で終わりを告げる。例外的に1887年のカディス博と1888年のパルセ口ーナ万博のトラスアトランテ…

ガウディの謎 Part 5

6 1888年頃のガウディ 別の視点からこの建築をみてみることにしよう。1888年頃ガウディはいつたい何をしていたのだろうか。パラシオ・グエイの建設(1885〜89)を始め,以下次のような作品があげられる,アストルガの司祭館(1887〜94年)、サグラダ・ファミリ…

エル・カプリチョ邸の庭

1988年には最後の大きな改装があり、レストランになったが、今は休業している。ランドスケープはグロッタが現れたりして、何故かフォンセレのサマ公園を思い出す。 以上2007年6月15日撮影

ガウディの謎 Part 4

5 探索 こういった疑問も文書なり図面なりが残っていれば一度に解决するわけであり,まず所有者を探すことにした。これは別名ボデ一ガ・デ・グエルとも言われるようにグエイ家のものであることはすぐにわかり,現所有者がガウディのパトロンであったグエル伯…

ガウディの謎 Part 3

3 ボデーガ・デ・ガラーフの評価 ではボデーガ・デ・ガラ一フはこれまでどう評価されてきたのか。「個性的で同時に風景の素晴しさに順応した作品」(Ràflos, 1926),「彼の最高の作は疑いなくボデーガである。表情溢れる見事な統一とすべてのエレメントのオー…

エル・カプリチョその後

以上1990年12月撮影 以上1992年3月撮影 以上2007年6月15日撮影TOTO出版 我が街バルセローナ 1991年 90ページよりエル・カプリチヨ 1883〜85年。ガウディと同級の力スカンテCrístobal Cascanteは、ガウディと共通の師マルトレイのコミージャスの現場監理…

ガウディの謎 Part 2

1 発端 バルセロナに関するノート⑥ガウディその周辺をレポ一トするために(A+U 1974年5月号掲載)ガウディの弟子と呼ばれている人びとの伝記を掻き集めたのであるが,そのとき浮び上ったのが,ベレンゲ一ル,ジュジョール,ルビオ・イ・ベズベルらであった。…

気まぐれ邸の気まぐれ

A+U 1977年7月号よりエウセビオ・グエルの義兄弟にあたるコミージャスの第二侯爵の娘婿であるディアス・デ・キハ一ノは,コミ一ジャス(サンタンデ一ル県)に,侯爵およびグエル伯を通じてガウディにヴィラの設計を依頼した。このヴィラは1883年〜85年に建設…

エル・カプリチョ邸の装飾 

れんが打放しのファサードは,セラミックによって水平䖝が引かれ,窓にもそれによって囲まれている。その文様は、マドセンのいうアール・ヌーヴォーの主要なモチーフであるひまわりがレリI―を付けて焼かれている、セラミックは全部で三種あり,ひまわりの花.…

ガウディの謎 Part 1

1928年,ジュネーヴの国際連盟会館のコンへの最中であった。建築についての(すぐ後に『住居と建造物』として刊行された)の講演をするためマドリッドの大学都市へ呼ばれた。マドリッドでホセ・ルイス・セルト(当時はこの男が誰であるのか知らなかったが)の…

モデルニスモ Part 47 ガウディの協働者

ドメネク・スグラーニェス(Domènec Sugrañes i Gras,1873〜1935年)も非常に早い時期からのガウディの協力者であって,1900年と1902年の間のベジェスグアルドの門の鉄細工および塀を手がけ,またサグラダ・ファミリア教会の師の死後キンタナ(Francesc de Paul…

エル・カプリチョ邸の構成

エル・カプリチョ邸は3層構成で,下階は石積み,その上の二層がれんがでファサ—ドにむき出しになっている。住居として使われるのは,そのうちの第二層のみで,他階は車庫、女中部屋、物置、屋根裏部屋などになっている。 プランニングは、ビセンス邸と明確な…

モデルニスモ Part 46 ルビオ

ジョアン・ルビオ・イ・ベルベルJoan Rubió i Bellver (1870〜1952年)もレウスに生を受け,サグラダ・ファミリ教会の仕事を共にしていた一人であって,ガウディの有名なカテナリー曲線による構造実験を担当していたのは彼であり,マジョルカ島パルマ大聖堂修…

3/2 カプリチョ邸

コミージャスの第一侯爵アントニオ・ロぺス・デル・ビエラゴ・イ・ロぺス・デ・ラマドリード,Antonio López del Piélago y López de Lamadrid (1817 〜1883年)はカタルーニャの建築家,アーティストの擁護者で、コミージャス(サンタンデール県)にはたくさん…

ビセンス邸インテリア

現在建設当初の姿がよく残されているのはエントランス周り、ダイニング、喫煙室 メイン・エントランス 喫煙室 ダイニング埜マントルピース

モデルニスモ Part 45 ジュジョール III

1911 マニヤ一チの店(現存しない),バルセロナ 1914—1930 カサ・ネグレ,サン・ジョアン・デスピ ? カルマリン、カルメリータス教会内,タラゴナ 1914 トーレ・デルス・オウス, サン・ジョアン・デスピ 1916 サンサルバドール・イ・ケラルトの家,バルセ…

モデルニスモ Part 44 ジュジョール II

こういったことからしばしばその生活方法と創造活動の方法をガウディのそれと重ねられる。ガウディは終生結婚をしなかったが,彼もガウディの死の翌年48歳まで独身を通した。ガウディはその劇的な死をひきあいに出されるが,彼の死もそれに等しい。スペイン…

ビセンス邸 今日の様子

手前が修道院? 左手がもともとは噴水などがあった庭が広がっていた 壁面のこの切り込みがメインエントランス ファサードは微妙に道路とのラインからずらされている 建設当初の写真では中国人が映っている写真がある このブラインドは何をガウディは考えてデ…

モデルニスモ Part 43 ジュジヨール

ベレンゲールより13ほど若く,その師ガウディより27歳若いホセ・マリア・ジュジョール・イ・ギルべルト(Josep Maria Jujol Gilbert, 1879〜1949年)はバルセロナの隣県タラゴナに生れた。タラゴナの美しい自然を愛し,イマジネーションと色彩による異常なセン…

ビセンス邸 建設当初の様子

ビセンス邸建設当初の全景 庭にあったパラボラ・アーチの噴水 ビリヤード室 どうやら地下にあったらしい オリエンタリズム これは当時流行した世界の風物誌から刺激を得たものと考えられる 西側のファサード