2012-01-01から1ヶ月間の記事一覧

ガウディの建築におけるビザンチンの影響

El bizantinismo en la arquitectura gaudianaEl proyectos de Tánger y el de la iglesia de Colònia Güell Tokutoshi Torii El hombre tiene que ser necesariamente ecléctico, puesto que no puede crear de la nada. Su acto de creación sólo puede pa…

バトリョ家前室

2001年1月28日撮影 恐竜の脊髄もどきの階段 2006年7月2日撮影突き当たりのもうひとつのグロッタをくぐると樫の木で作られたバトリョ邸へのアクセスである階段が,鱗を見せて横たわっている。手すり,手すり子は無論のこと、踏板に至るまで執拗に曲線が付けら…

エントランスまわり

エントランス・ホールに入る 正面の入り口がバトリョ家へのアクセス、左が賃貸し用の住宅へのアクセス 2002年1月12日撮影 右に進むと賃貸し住宅用のアクセス 賃貸し用の住宅への階段 以上2002年1月28日撮影 賃貸し用の住宅へのエレベーター 以上2008年2月17…

サンタス・クレウスの修道院Monasterio de Santes Creus2012.01.05

週末にシトー派の修道院に行ってみた。バルセロナからは100kmほどのこころに3箇所のシトー派の修道院が集中している。 距離からいくと一番近いのがサンタス・クレウスの修道院で、高速に乗って1時間もかからない。修道院もさることながら、この近郊での名…

ジュジョール参考文献

森枝雄治、「ガウディの影武者だった男」、徳間書店、東京、1992年 森枝雄治、「ガウディになれなかった男」、徳間書店、東京、1990年 三宅理一、丹下敏明、「世紀末建築-モデルニスモと幻想の建築」、講談社、東京、1983年 ラケル・ラケスタ+アントニ・ゴ…

波打ったファサード

ファサードはもう一枚の表皮が貼り付けられ、これに緩やかなカーヴが付いている さらに、円盤がジュジョールの手によって飾られて張り付いている 以上2004年10月10日撮影 メイン・フロアーのトリビューンこれの上部にはおへそのようなくぼみがある、これはパ…

カサ・バトリョのファサード

隣接のカサ・アマトリェール バルコニーに設置によって逃げている 2004年10月10日撮影コーニスの高さは上に増築することによって隣接のカサ・アマトリェールのそれより一層分ほど高くなつた。しかしこれをガウディは嫌ったという。なぜならカサ・アマトリェ…

夢人ジュジョール

カン・ネグレ 巨匠は孤独であろう。巨匠に集まる人々が居ないというわけではない。いや、巨匠が自らを孤独に仕立ててしまうのかもしれない。 日本ではたぶんガウディの協同者という程度にしか知られていない建築家、ジョセップ・マリア・ジュジョールはマエ…

モンフェリーのモンセラの聖堂

The Church „Sanctuary of Montserrat“ in Montferri (1925-approx. 1930, 1989-1999) Jos Tomlow トムローとその師でもあるフライ・オットー CEGの第4回会議にて Jujol’s design for a church in the Catalan village Montferri can be regarded as a cl…

建物の帽子

カサ・バトリョの帽子 2004年10月10日撮影側面の内パティオの下階にはファサード面へ向けてパイプが埋め込まれているが、これはパティオ下部の不十分な換気を助けようというものである。ガウディは当時もっと空気のいい山の手にある1906年から25年の間グエイ…

カサ・バトリョの設計図

写真がそのまま絵葉書用に焼かれているこのときガウディが役所へ提出した面面はごく大雑把で細部などはほとんど描かれていない。まるでスケッチのようなものであるうえ、最上部に至っては現在のものとはまるで違ったものとなっている。ガウディは、このころ…

ジュジョールの建築に見るイマジネーションと創造性

IMAGINACIÓN Y CREATIVIDAD EN LA ARQUITECTURA DE JUJOLCARLOS FLORES CEGの会議でのカルロス・フローレス Si alguien me pidiera que señalara -cosa que hasta el momento no ha sucedido- cuales podrían ser las tres personalidades más ricas, cre…

ジュジョール年表

ジョセップ・マリア・ジュジョール1879年 9月16日 タラゴナに誕生 1885年 父アンドレウ・ジュジョールが校長を務める公立小学校へ入学 1888年 バルセロナ隣接のグラシアへ一家で移り住む。グラシアの公立小学校へ通うと同時に、デッサン学校での授業も受ける…

4/2 カサ・バトリョ

1972年3月撮影ガウディの自然主義は、いや自然主義というにはあまりにも個性的であるかもしれないが、ついにエレメントやモチーフとしてではなく、ファサード全体、構造自体、あるいはブラニングにも打ち出されてくるのである。 また私生活でも一番幸福な時…

SDジュジョール特集号

タイトル原稿カサ・ミラ 巨匠ガウディと弱冠ジュジョールの奇妙な関係はここで頂点を見せた。ミラ夫人のガウディ嫌いはカサ・ミラ設計当初からだが、悲劇の週間と呼ばれるアナーキストの決起はその頂点に達した。それは躯体工事が終わり、内装と外壁のバルコ…

モデルニスモ Modernisme

最近本屋で昭和の風物や出来事を扱った本が目立つようになったが、モデルニスモの評価が一般に定着したのはここバルセロナでもほんの最近のことだった。 1992年、第25回夏季オリンピックがバルセロナで開かれるのに平行して文化オリンピックと称して一連の企…

ロベルト博士のモニュメント

これらのふたつの作品には、ガウディの成熟期の前兆のようなものがはっきりと現れている。ガウディは既にこのとき、コロニア・グエイ教会という途方もない計画をスタートさせており、グエイ公園は既に着工されており、カサ・バトリョの建設を始めようとして…

グラネール邸計画

もうひとつは画家グラネ−ル(Luis Graner, 1863〜1929年)の別荘計画である。画家グラネールは旺盛な活動家で、画家として成功した後にバルセロナで由緒ある劇場として知られた"プリンシパル劇場"の経営に乗り出す。ガウディとの接触はこのプリンシパル劇場に…

ワールド・アーキ・ドキュメント Spain Barcelona

あれ以来 92年はスペインにとって大変な年だった。南のアンダルーシア・セビーリャでは万博、北のカタルーニャ・バルセローナでは第25回夏季オリンピックという国家事業的なイベントを同時に開催したからだ。一部の反対運動もあったが、両都市とも沸きに沸い…

Guggenheim Bilbao

1997年9月27日撮影 Serraの彫刻 2005年6月22日撮影

グッゲンハイム美術館

ビルバオという街フォスターの地下鉄 ビルバオは今、ノーマン・フォスターの地下鉄、サンティアゴ・カラトラバの歩道橋を完成、またカラトラバの空港も建設中で、10月3日にはゲーリーがグッゲンハイムを完成させた。 バスク地方の主要都市であるビルバオには…

■バルセロナ・アート・ガイド■  Barcelona Art Guide

埋もれたバルキノの街 この街の心臓部は意外に小さいのだ。 それは、ちょうど今我々が目にすることのできるカテドラル(1)ほどの大きさしかない。ここにフェニキア人たちの後を受け継いで半島に侵入したローマ人たちが築いたバルセロナの街の起源であるバ…

ガウディの略年譜 Breve Cronología de Gaudí

1852年 6月25日スペインのカタルーニャに生まれる。生家にはレウス説、リウドムス説がある。 1863年 レウスのエピスコラピオの中学校へ入学。 1867年 手書きの学校誌エル・アレルキン誌のイラストを描く。 1869年 レウスからバルセローナ…

インタビュー10 Entrevista a Bohigas

★オリオール・ボイーガス ガウディには興味が無くなってしまった−今日は日本の建築雑誌atの取材でまいりました。 ガウディがバルセローナでも異常に注目されてきたのでしょうか、このところガウディ の建物が異常なほど修復されています。そこでat誌の厚…

ミラージェス邸門と塀

完成当初の門ひとつは出版業者ミラージャスMiralles氏の別荘の塀および門である。別荘および庭はガウディの若き協力者であるスグラーニェスによって設計されたが、これも未完のままに終わっている。スグラーニェス設計の主屋の方はバレンシア地方の民家"バラ…

インタビュー9 Entrevista a Pilar y Rosaria

★修復の現場から見た修復の論理と手法 ピラール・ディアス+ロサリア・アロンソ−PD.モニュメントのフィジカルな修復について触れたいと思います。私が思うには普 通建築家が工事を監理するわけですが、建築家は彫刻とか絵画あるいはセラミックとい う特殊…

4/1 宗教への没頭と造形的解放

「思考というのは自由であるわけではない。真理の前に奴隷である。自由は思考の所有物ではなく、 (神意)の所有物である。」ベジェスグアルド邸、カサ・カルベの建設を境にして、ガウディの造形は既成の審美学法則からより自由なものへと転換していく。1900年…

インタビュー8 Entrevista a Josep Maria Botey

★カサ・バトリョを再生する ジョセップ・マリア・ボテイ ガウディはたぶん材料についての知識を充分に持ち合わせ、職人の腕のみせどころをつくることをよくわきまえた建築家であったと思います。 私がカサ・バトリョで担当した修復箇所は裏側のファサード、…

カサ・カルベの不思議な形

あんこうの口に糸杉が突き刺さっているのでしょうか 全く分からない 現在一階はレストランカサ・カルベになっているのですが.... 2012年2月2日撮影

インタビュー7 Entrevista a José Antonio Martínez Lapeña

★グエル公園の初の大々的修復 ホセ・アントニオ・マルティーネス・ラペーニャ UNESCOが人類の文化財としてグエル公園を指定したため、その現在オーナーである市役所は1987年頃にこの公園の修復に踏み切ったのだと思います。文化庁の経済的支援を受…