2011-11-01から1ヶ月間の記事一覧
内部は不思議なイリュージョンの空間が・・・。 手前にあるのはタピエスの作品 市役所で見つかった申請用図面
サグラダ・ファミリア・アプス 1972年2月5日撮影アプス周辺の建設を進めていたガウディは1891年、御誕生の門建設に着手する。周囲の人たちは市心と反対側に当たる御誕生の門建設より、市心に向いた御死去の門の建設から始めるべきだと主張した。なぜなら贖罪…
フォンセレの公園コンペ案 ボルンの旧バルセロナ中央市場は、撤去を逃れ地区の図書館として保存、再生されることになっていたのですが、いざ工事を始めるとローマ遺跡が出てきて工事はストップ、さらにプログラムが変更されて来年度めどに文化センターとして…
サグラダ・ファミリア教会はその建設の発起人の死(1892年4月22日バルセロナにて没)にも関わらず、順調に進んでいた。ビジャール原案の三身廊形式に対してガウディの計画は5身廊・翼廊部も3身廊というもので、既に北西側にはアプス(図面上のC. de Provenza)…
ジョゼップ・フォンセレ・イ・メストレ(Josep Fomtserè i Mestres;1829〜1897年)の名は.われわれにガウディの名と共に記憶されている。フォンセレはいわゆる建築家ではなく,Maestro de Obraであつた。このマエストロ ・デ・オプラとは、より実際的な仕事か…
タンジール布教館は矩形平面を持ち、中央に礼拝堂が据えられ、それを囲んでパティオがあり、更にパティオを囲んで教育施設などが配された建物によって閉じられているが、これがわずかながら内側へ傾斜している。この傾斜が、プロフィールをパラボラで描いて…
年代的には、サンタ・テレサ学院の次にタンジール・カトリック布教館計画(1892〜93年)が来るわけであるが、このプロジェクトには謎めいたことろが数多くある。計画の依頼者はコミージャス候(Claudio López Bru, 1853〜1925年)であり、その北アフリカとの…
久しぶりにサグラダ・ファミリアへ、内陣に屋根がかかってからまだ行ったことがない。重い腰を上げて中へ・・・・。 全景 2011年11月27日撮影 身廊を見上げる 模型とそっくりではあります ステンドの派手なこと 側廊を真横から ガウディが直接タッチしたご誕…
ドラフトマン、ラモン・ベレンゲールが描いたセクション メイン・アクセスのちょうど上にあるアルコーブ 地上階 1階までも光を取り込むライトウエルを見上げる 1階部分のパラボラ・アーチの連続 この建物の圧巻です 木々も育って70年の頃とはすっかり変わっ…
カテドラル・アプス部 市壁の一部になっている この部分はロマネスク アビラのカテドラルは要塞かされた教会堂の最も顕著例の一つである。そのうち最も古い部分である後陣は市壁と重なり、その巨大な塔は同時に見張り台の役も果たしている。最も古い部分であ…
歴史博物館 旧市街の真っただ中、王の広場にある宮殿から博物館へははいる ローマ時代バルキノの呼ばれていたころの市の復元模型 カルタヘナのローマ円形劇場ほどではないにしろここでもリサイクルしていますね 地下には別世界、ローマ時代の遺跡がぎっしり…
メイン・トランスを飾るセラミック コーナー部分の紋章 メイン・エントランスのインテリア 内側にはステンドグラスが、外側にはセラミックがはめ込まれている サルモン柱 1984年9月撮影
ローマ遺跡 これはローマ時代の遺跡の保存と見学のために屋根をかけたようなのですが、遺跡が完全に負けてしまっています
現在屋上の2重の陸屋根の上層が外されたが、もとはといえば1メートル半ばかりの屋根裏空間があり、ファサードに開けられた換気口を通じて、湿度調整の役と、雨仕舞いの役を果たせていた。このスペースはカタロニア屋根と言われるシステムで伝統的に断熱性能…
ギジェルモ・バスケスの設計で、ここの見世物は海底で発見されたカルタゴ時代の船。実際にはのレプリカが展示されています。ミュージアムは波止場に沈められていて、レストラン、事務棟またライト・ウエルが地上に出ているのみです。 LEDの使い方がうまいで…
教団からの要求、つまりアートよりは経済性を重視せよという要求が、学校を自然と機能主義的な傾向へと導いた。建設は1888年8月27日に着工、1890年4月に竣工しているが、4層のレンガ造、一部石造が併用されている。建物は58メートル半の細長いファサードを持…
ローマ博物館の入り口となっている建物 本館の展示部分 このトンネルは隣接していた教会の地下聖堂へと出る これをくぐれば円形劇場へ出る 1980年代までこのローマ円形劇場の中に住宅が建っていた その時代にが、あるいは別な理由かローマ時代の円柱などが大…
ラファエル・モネオの市役所エクステンション 左手が本庁舎 バサルトのピンコロ石 周辺はトラバーチン カテドラル右手にある司教館
アビラの市壁に囲まれた町マドリッドの近郊アビラの街に、1515年生まれたテレサはユダヤ系の裕福な家の出で、18歳の時にカルメリータ修道会に入る。ところが神の爱に近づくために魂の完&化を求めて、より厳格な修道規律への改革をすすめ、新たに"素足のカル…
現在銀行の所有で、中は展覧会、イベントなどが開かれるので見学ができるようになった。 施主の名前が掻き取られてしまったエントランスの鉄細工を内側から見る ステンドは至って単純
メイン・エントランスの上部だが、何か不思議なものが付いている 同格子状の扉 ドライエリアをカバー メインエントランスの鉄細工 鉄細工はバルセロナで作られて、レオンに運ばれた オリジナルは会社の設立者二人のFernandesとAndrésの名前が入っていたが現…
ムルシアのカテドラル正面 1980年代撮影ムルシアに来たのはこれで3度目になる。最初に来たのはバロックのカテドラルのファサードを見にきた時だ。バロックのファサードとしてはバレンシアのそれと並びよく知られている。ゴシックの垂直性からすれば、バロッ…
サービス用のエントランスですがなかなか気のきいたドアノブが付いています 非常にややっこしいい木の組み方がされているようですが、これならドアも木が暴れ開閉に支障を下すこともないでしょう この斜めの線は後にベジェスグアルドでも使われていますがモ…
サン・エステバンという名前はここに同名の教区教会があったからで、ここにドミニコ派の修道僧が移った時に修道院の建設となり、この教区教会は壊されることとなり名前だけが残ったのだった。 1524年のことだった。建設は1610年まで続き、マルティン・デ・サ…
明け方のカサ・デ・ロス・ボティーネス正面ファサード ガウディが冷たくなってスケッチをしている 背面ファサード メイン・エントランス 夜が開けました 右手はローマ時代の市壁です この建物はライムストーンで作られていますが、隣のヒル・デ・オンタニョ…
19世紀末最後の植民地であるキューバを失なったスペインは同時に98年代の世代を生んだ。建築ではその頃マドリッドでわずかな時期にネオ・プラテレスコ様式というスタイルがもてはやされた時期がある。具体的には1900年のパリ万博でエッフェルが新時代にふさ…
カサ・デ・ロス・ボティーネス 2009年5月30日撮影アストルガ司教館のエントランス・アーチ構築に二度までに失敗したガウディは,ここでもその名を知られていた。そのせいもあってカサ・デ.・ロス・ボチィーネス建設中に子供たちが,こう囃したてるのでのであ…
1493年ゴシック様式で着工したこの建物は1517年に一応の完成を見たがその後1701年には改装、増築が加えられこの時にプラテレスコ風のファサードに装飾された。建物の名前はもちろんこのファサードに貼りつく300個ほどの貝からきている。1967年以降は市役所に…