2012-05-01から1ヶ月間の記事一覧

ネオ・ゴシックからの出発

さらにこのネオ・ゴシック様というのが御誕生の門の下部で踏襲されている。例えば周辺につく回廊の窓、ロザリオの祭室、中央の大門、両端の門周辺などだ。この辺りは一八九六年の三月に完成されているのがサグラダ・ファミリアに保管されている当時の写真か…

度重なる設計変更

ガウディが直接建設した門の面白さというのは下部のネオ・ゴシック・スタイルから始まって、鐘塔のピナクル先端の完全に既成概念から解放されたオリジナリティーのあるデザインへと移行していく、ガウディの作品系譜に完全に一致しているのが明快にわかるこ…

御誕生の門

とにかく前任者の設計に制約されず、ガウディが本格的に自らのデザインを始めたのは、その後一八九四年に着工した御誕生の門で、これはプランもクリプトとは違って平面的な制約もなかったから自由に設計が出来た部分である。 ビジャールの平面が三身廊形式で…

ガウディのサグラダ・ファミリア

ガウディは財産も持たず、生涯を独身で過ごし、特にこのサグラダ・ファミリア教会建設に彼の人生の大半である四十四年を費やしている。 生前でも貧者のカテドラルと言われたように、ガウディは私財を投げ打って、自ら募金運動をし、特に晩年はその建設に没頭…

建設続行反対運動

しかし、この建設続行が古くからバルセロナばかりかヨーロッパ、アメリカのアーティスト、知識人たちから反対されているというのは意外と知られていない。一九六五年にオリオール・ボイーガスをはじめ建築学校の学生がオーガナイズしたのが最大の反響を得て…

モンセラ

修道院のアプス部分 この一部にガウディは学生の時にアルバイトでドラフトマンとして仕事をしている 祭壇部分 この中央に有名な黒い聖母が祀られている

現代の大建築

ところが現在では国家の大事業ですら大して時間を使わない。建築ではないが、世界一長い吊り橋、世界一高いということで、ギネス・ブックで2つの記録を保持し、難工事といわれた明石海峡大橋ですら一〇年少々だった(1986年4月26日起工、1998年4月5日竣工)…

メテオラ

1972年10月撮影

Donato d´Angelo Bramante (1444-1514年)ラファエッロは後継者となった時、堂内部をブラマンテの案を踏襲して設計をしたといわれる。Raffaello Sanzio (1483-1520)Baldassarre Peruzzi (1481-1536)没年まで建設に参加。 Antonio Sangallo il Giovane (1483-1…

カッパドキア

1972年9月撮影

サン・ピエトロの建設

ヴァチカン教皇庁のサン・ピエトロ寺院の創建は三一九〜三五〇年とされ、現在の寺院はカトリックの大本山として相応しい一大聖堂に建替えようと考えたニコラウス五世(在位一四四七〜五十五年)の発案になり、具体的にはユリウス二世(在位一五〇三〜一五一三年…

中世のカテドラル建設

宗教的な理由もそれぞれあったろうが、まず巨大な空間を構築するという物理的な困難に中世ヨーロッパでは大聖堂の建設には異常に時間をかけたというのはごく当たり前のことであった。たとえばシャルトルのカテドラルは、ゴシック様式のもっともピュアーな教…

奇岩と建築 |カッパドキアの旅

アテネから列車で8時問。その終着駅Kalambacaは古代都市Awginionのもとに建てられた緑豊かな地である. 平坦なこのあたり,ちょうど,力ランバカの背後に岩山がある,それがメテオラ(Meteora)である,最初の行者がここにやってきたのは,ビザンティン帝国衰…

サンティアゴの巡礼地 Vol. 15

21/プエルトマリン/Puertomarin /かっての村はダムに水没したが、San Juan教会などは移築されて現在の村に再建された。12世紀の建物で要塞化しているのが特色。22/ラパコージャ/Labacolla/サンチヤゴはすでに目前に迫っている。巡礼者は長旅の汗を流し、体を…

第一章

サグラダ・ファミリア教会ガウディの作品の中でも特によく知られているのがサグラダ・ファミリア教会。タケシのテレビ番組で取材され、H.I.S.のスペイン・ツアーの新聞広告には必ずといっていいほど出てくるのが、この教会である。一三〇年前から着工され 、…

サンティアゴの巡礼地 Vol. 14

19/ポンフェラーダ/Pomferrada/11世紀建投の鉄の橋(ポン=フェッラダ)がこの街の名として残った。オスムンド司教が架けたこの橋の手すりが鉄であったからである,巡礼者のためであつたのは言うまでもない。城はローマ人以前から耍塞化していた山頂に12世紀…

Antonio Gaudí i Cornet。アントニはAntoni、アントニオはAntonioで前者がカタルーニャ語、後者がスペイン・カスティージャ語の表記。また、Gaudíは慣例的にガウディと表記されているが、iにアクセントがあるためアクセントを音引きで表現する日本語ではガウ…

ガウディの動員数

直接、間接に啓蒙された人でなくても、ガウディを実際見たことのない人の中にもガウディ・マニア、ガウディ・ファンは多い。ガウディを見たいとバルセロナに押しかける人は絶えない。これはどういうことなのだろうか。 不思議、怪奇、グロテスク、シュール、…

サンティアゴの巡礼地 Vol. 13

18/アストルガ/Astorga/ローマ時代から交通の拠点として知られ、サンチヤゴ巡礼時代には各種の催しが開かれた。Santa Mariaに捧げられているカテドラルは15世紀。手前にはガウディデザインの司教館がある。現在、内部は「巡礼博物館」として使われている。市…

はじめに

ガウディ ・マニア “ガウディ研究センター” を10年間一緒にやっていた彫刻家、ルイス・ゲイブルトやサグラダ・ファミリア教会で現在、設計や現場の全般を見ている建築家、ジョルディ・ファウリも年齢からガウディとは実際には逢えなかった人たちばかりである。…

サンティアゴの巡礼地 Vol. 12

16/ビルヘン・デ・カミーノ/Virgen de Camino/アストルガの街道5キロ拠点に巡礼時代から伝わった聖母があつた。17世紀にここに教会堂がきてられ、戦後ミゲル・フィザックによつてRC造のモダンな教会に建て替えられている-彫刻はスビラックス。ビルヘン・デ・…

ガウディのいる街バルセロナ

目次 はじめに ガウディ・マニア 第一章 サグラダ・ファミリア教会 中世のカテドラル建設 サン・ピエトロの建設 建設続行反対運動 度重なる設計変更 ガウディのデザイン・プロセス第二章 ガウディへの評価 ル・コルビュジェとガウディ 今井兼次教授 モデルニ…

サンティアゴの巡礼地 Vol. 11

15/レオン/León/巡礼道中、パンプローナとブルゴスに並ぶ重要な都市。レオンはラテン語のししからくる。カテドラル、サン・イシドロ修道院、サン・マルコス修道院などモニュメントも豊かでカテドラルは1199年創建、16世紀に完成。ステンド・グラスが美しい。…

シュヴァルの理想宮

学生の頃はガウディというのはこう評価されていました。 例えばその頃の学術論文には 黒田正己, 『ガウディとシュバルと二笑亭』, 建築学会研究報告集25号, 1954年02月 というのがありました。 そしてやっとのことシュヴァルの理想宮に行くことができました…

サンティアゴの巡礼地 Vol. 10

14/サアグン/Sahagún/San Benito王立修道院は廃虚化しているが、12〜13世紀にかけてこの地方一帯の最大のベネディクト派修道院だった,作者はノルマンディ出身のギジェルモ。隣にあるSan Tirso教会は12世紀のロマネスク・ムデハル様式。San Lorenzo教会はは…

Alella, 2012.05.13

ロマネスクの面影を残すアレージャの教会、鐘塔とアプス部 正面ファサードは村に背を向けるようにして位置している ガウディが祭壇のデザインをしたチャペル メイン・チャペル 日曜日アレージャへ。バルセロナから近いのだけれども、電車でマスノウへ行って…

サンティアゴの巡礼地 Vol. 9

12/フロミスタ/Frómista/ベネディクト派の修道院530 、San Martín de Toursがある。1066年頃建設で現在では教会堂のみが現存している。正面の两側に建つ円形プランの鐘塔から建築家は巡礼道経由でドイツから来たと考えられている。 パルメーラスという病院が…

サンティアゴの巡礼地 Vol. 8

11/ブルゴス/Burgos/市は822年AlfonsoIII世によって創建、アストゥリア王FernandoIII世時代にバジャドリッドが首都になるまで(1492年)カスティ—ジャ王国の首都として栄えた。カテドラルは1221年ロマネスク教会堂に替わり、ゴシック様式で建設される。ファ…

エイシャンプレのトリビューン

ドメネクのトリビューン (マジョルカ島パルマのホテル) パラウ・グエイのトリビューン カサ・カルベのトリビューン カサ・バトリョのトリビューン ラ・ペドレラのトリビューン

イシャンプレの塔

エイシャンプレのグリッドのチャフラン部分にはこの角にポイントを置こうと, いくつもの塔が建てられている 建築家たちはこの垂直のラインで無機質なグリッドへの反旗としているかのようだ 頂点はやはりこのプーチ・イ・カダファルクのレス・プンチェスの塔…