2011-05-01から1ヶ月間の記事一覧

ビジャヌエバのプラド/Villanueva en Paseo de Prado

プラド美術館 1971年撮影サバティーニはローマ的なクラシシズムから、ネオ・クラシシズムの終局であるギリシャ的なクラシシズムへとサン・フェルナンドアカデミーを動かせてゆくが、そこから育ち、ローマで7年間 学んだファン・デ・ビジャヌエバ(Juan de Vi…

サバティーニのマドリッド/Madrid de Sabatini

サン・フランシスコ・エル・グランデを建設したのは、イタリア人サバティーニ(Francesco Sabattini,1722〜1797年)であるが、彼はカルロスIII世に呼ばれ、マドリー市の再開発や美観計画をした都市計画家のひとりで、現在のほとんどのマドリー旧市街は、彼ら…

第十章 ネオ・クラシシズム

フェリペV世の子フェルナンドVI世とカルロスIII世は、いずれも文人タイプの王で、特にカルロスIII世はナポリという、古いモニュメントや美術館に囲まれて青春期をおくっていることもあり、美術へ愛好を持ち、また素養さえ備えた王で、ゴヤを宮廷画家として抱…

アランフェス/Aranjuez

ファン・バウティスタによって設計され、エレラによって引き継がれたアランフェスの王宮(Aranjuez)もブルボン期に大幅な改装が加えられ、フェリペの子カルロスIII世(在位1759〜1788年)の時にはサバティーニによって翼廊が張り出されたり(1772〜1777年)…

王宮/Palacio Real

この時代の最大の建築作品はマドリーの王宮(Palacio Real)である。トレードのアルカサールに擬した、旧ハプスブルグ家の王宮は1734年の火災に大破し、それを機会にフェリペV世はルーブル宮の規模での新宮建設を思い立ち、これまたフランス人ではないトリー…

ロココ/Rococó

こうしたバロックの成功裡に影をひそめてか、ロココの生彩は萎え、美術の通説ではバロックのデカダンスほどにしかとらえられていないのがスペイン・ロココである 。 しかしその時期にはちょうど、スペイン王位継承戦争(1701〜1714年)の結果、ハプスブルグ…

ロココの前兆カルトハ(カルトジオ)派僧院の聖器室/Catuja de Granada

グラナダではルイス・デ・アレーバロ(Luís de Arévalo)によってカルトハ派僧院の聖器室 (1727〜1764年)がスペイン・バロックの最大の奇行をやってのけたが、すでにオーナメントにロココを漂よわせている。 グラナダ・カルトハ派修道院エントランス 1971…

たこ/Pulpo

また脱線しますが、タコは80年代の対日本輸出の1位を占めていました。日本はこれに対して電卓でしたから、タコと電卓を交換していたようなものです。 一番ポピュラーなのがガリシア風たこです。やわらかくこれにパプリカ、アラ塩で味付けがしてあります。ガ…

チュリゲラ家/Los Churrigueras

サンティアゴのカテドラルホセ・ベニートはチュリゲラ家の中でもっともチュリゲラらしくないといっても過言ではなく、チュリゲラがチュリゲレスコを生むのは、一番末のアルベルト(Alberto,1676〜1750年)を待たねばならない。それもホセやホアキン(Joaquín…

プラサ・マヨール/Plaza Mayor

マドリッドのプラサ・マヨール。市役所として割り当てられたファサード ゴメス・デ・モラはフェリペIII世からマドリーに広場の建設を依頼される。その広場というのは王がバジャドリーに暮らすうちで、ことのほか気に入ったもので、プラサ・マヨール(最大の…

第九章バロック/Francisco de Mora

ウナムーノは「エスコリアル宮は石できざまれたフェリペII世の兄弟である」という。確かに現在もエスコリアルを見下ろせる南西高台に残るフェリペの椅子というのが残っており、21年間という建設中、わが子の育つのを見守るかのようにしていたフェリペの姿が…

エル・エスコリアル/El Escorial

エル・エスコリアル宮 当時スペイン領であったナポリの総督をしていたバウティスタはマドリーへ呼び戻された。バウティスタは46〜48年の間アントニオ・ダ・サンガッロの後任者としてサン・ピエトロ寺院の次席建築家、つまり、ミケランジェロの傍らで働いたこ…

建築好きのフェリペ2世/Felipe II

プラド美術館蔵フェリペ2世ポートレート トレドのアルカサル 1972年8月撮影 1537年、10歳になるカルロスV世の子フェリペ王子(1527〜1598年、在位1556〜88年)は49歳になる建築家コバルビアスに対してトレードのいくつかの御用建築を担当するように命じてい…

アルハンブラへの冒瀆か カルロス五世宮の建設/Palacio de Carlos V

カルロス5世宮 1990年10月撮影 半島でのルネッサンスの第二過程はクラシシズムへの接近、ピューリズムへの到達である。その記念碑がアルハンブラ宮というとてつもない場所に建てられた、未完のカルロスV世宮である。 1492年のアルハンブラの無血開城の際、宮…

ヒル・デ・オンタニョン/Gil de Hontañón

サラマンカには「貝殻の家 」やサン・エステバンの教会 といったゴシックの構成にルネッサンスの装飾をつけたプラテレスコから、ロドリーゴ・ヒル・デ・オンタニョン(Rodrigo Gil de Hontañón,1577年没)のモンテレイ宮(Monterrey,1539年 Fray Martín de S…

このブログですが・・・・・。

1979年に"スペイン建築史"という本を相模書房から出していただいて、それから早くも30年強。人生の大半をこの地で過ごしてしまいました。今ももちろんスペイン在住ですが、その後も旅を続けてきました。スペインが好きなのでしょうね。それをブログでご披露…

第八章 ルネッサンス/Renacimiento

後期ゴシックがこのようにイベリア半島で狂い咲きしたのは、まぎれもなく半島両国の黄金時代を予告してのことである。 1471年、ポルトガル船は赤道を通過、1479年にはスペインは統一され、1492年には最後の回教圏グラナダを奪還し、同年にはコロンブスの新大…

トマールキリストの修道院/Convento de Cristo

アルーダ家 の長兄ディオゴ(Diogo de Arruda,1531年没)はトマールにあるキリストの修道院(Convento de Cristo,1160年開始、1510〜14年に働く)を代表作とし、ここではほとんどシュールレアリスティックな空間を生み出しているのである。 修道院自体は、城…

バターリャ修道院/Mosteiro da Batalha

バターリャの修道院はポルトガルの独立を記念して、1388年建設が始まった。初代の建築家はポルトガル人アルフォンソ・ドミンゲス(Alfonso Domingues)と考えられ、彼は15年間、ここで盲となるまで働き、平面計画をほぼ立案したと考えられる。これを引き継い…

ポルトガルのマヌエリーノ様式/Manuelino

シントラ宮、インテリア このようにイタリアではすでにミケランジェロのような傑物によって新しい時代精神がかたちとして表現されていた16世紀に至っても、スペインではゴシックがもてはやされるが、ポルトガルではイサベリーノよりもされに遅れた後期ゴシッ…

ファン・グアス/Juan Guas

エンリケのこの成功へ導いたのは伯父アネキンではなく、師ファン・グアス(Juan Guas,1496年没)である。グアスは父ペドロよりも、その頭であったアネキンよりも秀れた才を示し、シモン・デ・コローニアとともにイサベリーノを担うが、それには1472年のイサ…

エンリケ・デ・エガス/Enrique de Egas

彫刻家エガス・クエマン(Egas Cueman)の二子アントン・エガス(Antón Egas)とエンリケ・デ・エガス(Enrique de Egas)は父の職域をさらに広げて、建築家として働き、ブルゴスのコローニア家に対して、トレードのエガス家と言われるほどの影響力を残して…

ファン・デ・コローニア/Juan de Colonia

ブルゴスのユダヤ人司教、アロンソ・デ・カルタヘーナは1442年、ハンスというケルン出身らしい建築家を招いて、双塔のピナクルを建てさせている。ハンス・フォン・ケルンの名は、後の渡来建築家同様、スペイン人にとって発音しにくいため、ファン・デ・コロ…

後期ゴシック、セビリアのカテドラル/Gótico Tardio, Catedral de Sevilla

中世が秋をむかえる時、ゴシックも秋をむかえる。しかも華やかな秋である。まずそれが始まったのはセビィージャのカテドラル再建(図版24,25)である。 傷みがひどくなってきたアルハマのモスクを改装して使っていたそのカテドラルは1401年になって新築が決…

ゴシック市井建築/Arquitectura Gótica civíl

しかしこの章頭で述べたように、カタルーニャ・ゴシックはブルジョア文化に支えられていたため、一連の非宗教建築の華麗な発展をみるのである。 例えば、海外貿易の発達にともない、商業取引の契約の場、そして商人たちの集会の場であるロッジャがある。とい…

ガウディのマジョルカ島パルマのカテドラル計画/Intervensión de Gaudí en Catedral de Palma

ちょっと脱線しますが・・・・・。4/7 マジョルカ島カテドラル修復 ほとんどグエル公園の建設と時を同じくして、マジョルカ島パルマの修復という仕事をしている。 カテドラルはハイメ一世の子ハイメ二世によって十三世紀後半に建設が始まり、十四世紀にほと…

マジョルカのカテドラル夜景 インテリアはカタルーニャ・ゴシックの透明感、無機的な空間がここでも見られる。 連立するバットレス。この内側に礼拝堂が組み込まれている。 ガウディがこのカテドラルで仕事をしている。彼は改装というよりは修復の仕事をした…

ジローナのカテドラル/Catedral de Girona

バルセローナのカテドラルの着工後の1312年にロマネスクの寺院のうえに新たに建設が始まったジローナのカテドラルは、バルセローナのそれと内陣を似かよせているが単身廊で、34メートルというせいの高さと、スパン22.8メートルという広々とした比類なき内部…

半島東のカタルーニャ・ゴシック

14世紀に入るとすでに退廃期をむかえるカスティージャのフランス・ゴシックに対してカタルーニャでは13世紀後半から特に14世紀全般にわたって単身廊でフライイング・バットレスをほとんど持たず、バットレスを周壁内に収めてしまうという新しいゴシックが全…

トレドのカテドラル/Catedral de Toledo

トレードのカテドラル(起工1226年)はそれに比べてもっとも地方的色彩を強く残したフランス・ゴシックのカテドラルで、3会堂中最大でもあり、約6千平方メートルを占めている。5身廊で、2重の周歩廊が内陣につき、トランセプトは身廊幅を出なく、明らかにパ…