2011-04-01から1ヶ月間の記事一覧
ロマネスク時代のカタルーニャでは住民100に対してひとつの教会があったといわれる。これはひとつには中世カタルーニャの繁栄を物語るが、もう一方ではリポールの修道院とリポール市などという例外はあるにしろ、大半は農耕中心の小共同体単位に村落が形成さ…
コインブラの旧カテドラルは、サンティヤゴの建築家と石工が建設しているため、きわめて似かよったプランを生んでいるが、コインブラのレコンキスタは1064年に成っており、ポルトガル王国成立の1143年以前 に建設が開始されているため外貌は城塞を思わせる …
トゥイのカテドラル サンティヤゴの巡礼道の終点、サンティヤゴ・デ・コンポステーラに、現在の会堂が建設され始めるのは、司教ディエゴ・ペラエス(Diego Peláez,1071年任に就く)の時である 。建築家はベルナルド、石工長は50人の職人を率いたロベルトとい…
ほとんどオリーバの事業と時を同じくしてサン・ビセンテ・デ・カルドーナ(S. Vicente de Cardona,1019〜1040年)が建てられていたが、こちらの方はまったくゴシックのカテドラルのような論理的な構造法でもって建てられている 。 そしてセオ・デ・ウルヘル…
オリーバはバルセローナ伯の子として生まれ、いくつかの領地を治めるが、21歳という若さで、リポールの僧院へ入り、俗界との関係を絶ってしまう。その後たび重ねてローマへの旅をし、リポールやクシャの修道院にさまざまな特権や免除を法王から願い受けたり…
リポールのサンタ・マリアはたび重なる火災に、その時4度目の修復となり、今日の姿はほとんどこのオリーバ司教の修復時のものである 。会堂の建築面積は2500平方メートル、身廊長さ70メートルを越え、幅は35メートル半、翼廊は40メートル、それに大小7つのア…
カタルーニャには、957年というわれわれが知る最古のロマネスク様式による、基石から架橋まで、すべて石でつくられた教会堂がある。サン・エステバン・デ・バニョーラス(S.Esteban de Bañolas,Gerona県)とサンタ・セシリア・デ・モンセラ(Santa Cecília d…
こうしたレコンキスタ後のキリスト教圏の回教文化への継続が大部分の地で行われているにもかかわらず、ふたつの地方−つまりカタルーニャとカンタブリア海沿岸−ではヨーロッパの中世が始まっていた。 カタルーニャはフランク王国・シャルルマーニュのもとにレ…
13世紀の末、ひとりの羊飼いが土中に埋まっていた聖母像を発見し、それが聖イシドロへ、聖グレゴリオ・マーショが贈ったものであるとわかって以来、その地に教会が建てられるが、1389年には、これがサン・ヘロニモ派の僧院となり、後のエスコリアル修道宮の…
サンティヤゴ・デル・アラバル(Santiago del Arrabal,13世紀前半、または14世紀)は三身廊で内陣に3つの円形礼拝堂を持つ典型的なロマネスク平面を持っているが、その内陣外部、格子天井、鐘塔の馬蹄型アーチという回教建築的要素、なによりものこと外観の…
しかしこのレンガという建材にはもうひとつ言及しておかねばならない。というのも輸入様式であるロマネスクは、その輸出国に豊かであった石を主材としているのだが、サアグンを始めとした多くのスペインの地方では、良質のものを産出せず、遠方からたとえ運…
11世紀から16世紀の間―いやそれは今日ですら受け継がれているであろう−回教徒の手から始まって、キリスト教徒の手に次第に移り、いわばスペインの血と肉となって、キリスト教様式と合体して、複合様式を生むのであった。 これがムデハール様式である。それら…
内壁は石灰にアラバスターの粉末、それにある酸を加えて仕上げられ、それが乾燥して完全に凝結する前に、アラベスク紋様が彫り込まれ、コーランの一章が彫り込まれ、「アベンセラーヘスの間」という地上のパラダイス、いやオアシスを構築した。その腰は、多…
2000年3月撮影 1977年6月撮影 1971年7月撮影 結果的には、アルハンブラ宮は西世界の最古の、そして無二の非宗教建築となるのだが、それを完成させ得たのは、キリスト教徒の手中に落ちたコルドバから逃げ出した建築家や芸術家たちの空間構成の手腕、セビィー…
1131年から(または32年)開始とされるマラケシュの大モスクのミナレットは現存しないが、1辺10メートルの切石積みの方形塔で、ふたつの階段を備えていて、むしろコルドバのそれに影響されたと考えられるが、同地のクトゥビアのミナレット(成立年代不詳_)…
サクラモンテから見るアルハンブラ宮 2006年2月19日撮影 アルハンブラ宮は、もとはといえばこのキリスト教徒との決戦に備えるために、南スペインに多く建てられた城館、アルカサールのひとつとして、シエラネバダ山脈を背景に、グラナダ市街を見下ろす赤い丘…
この時代のものとして知られているのは、宗教建築ではセビィージャのカテドラルの鐘塔ヒラルダ(Giralda,1184〜1196年、後年増築)とオレンジのパティオの一部(1172〜1176年)、クアトロアビータンの行者庵(Cuatrohabitan, El Aljarafe, Sevilla)、メルト…
観光地ですね。セビリアの観光のメッカになってしまいました。ヒラルダは町の中で一番高い建物でもあり、これより高い建物は作ってはいけないと言う、法文化されていない掟があります。 レンガとかプラスターとかいった簡易な材を使っているのが特徴で、その…
1988年1月撮影 ] 2001年12月29日撮影 ルネッサンス・スタイルでデザインされたカテドラル部分のヴォールト。 モスクの全体模型でも分かるようにカルロス1世の嘆きが聞こえるようですね。モスク内に展示されています。 狭い道に車が入ると、こうでもするしか…
オレンジのパティオといってもオレンジだけではないのですが・・・・。 しかし、モスクの全体の構想からすれば、カテドラルの暴挙はタカがしれているのかもしれません。 パティオには3方ギャラリーが囲み、オレンジの木がくつろぎの日陰を作っている。 オレ…
ダマスカスのカリフ継承争いから逃げのびたウマイヤ朝の王子アブ・ダ・ラーマンI世(756−788年)はコルドバを首都として西イスラム帝国の基礎を築いた。彼はシリア出身で、故郷ダマスカスの大モスクを回想し、そこに一大モスク建設を思いたつが、これが後に…
様式的な分類では若干順序が前後してしまいましたが、これもアストゥリア建築の例です。スタイルからはかなり晩年に建設されたもので、もうこれは実はロマネスクで、アストゥリアスの秀作の建築群に影響されてはいますが、ずっと後年になって作られているだ…
この写真でよくわかるように現存されているのは内陣交差廊部分のみ。発掘では三身廊形式で、交差廊もさらに1べイ張り出していたらしいことが分かっている。 壁面の植物模様もストライプは素晴らしい。彫刻は豊かで、モサラベ建築中最高の作品であろうか。197…
修道院の庭にあるこの祈願所として知られているこの小さな建物(約25㎡)は修道院が936年に創設されたがその後の改装、増築にあい、現在はガリシア・バロックの典型として知られているが、ここだけはそのまま残されている。 この模型の中にいるような小さな…
ガリシアは御影石でもよく知られているが、スレートも格好の屋根葺き材として知られている。この村の屋根は全てスレート、起伏のある土地でそれが全体ではまたスレートの丘が人の手で作られたという感じが素晴らしい。 サンティアゴペニャルバの教会の鐘塔が…
建設年代不詳のサン・バウデル・デ・ベルランガ(S. Baudel de Berlanga)の教会はモサラベ建築中、もっとも特異なものであろう。それは方形の8.5X7.5メートルの堂に、4.1X3.6メートルの礼拝堂が付くというもので、中央の円柱から延びた8本のリヴが、ちょう…
サン・ミゲル・デ・エスカラーダ(S. Miguel de Escalada)はこれらのうちもっとも美しい例である。会堂は913年11月20日に奉納されて以来、930年頃の側面ポーチ、13世紀の鐘塔と礼拝堂の増築を除けば、ほとんどその原型をとどめている。といってもその前身は…
サンタ・クリスティーナ・デ・レナ(Santa Cristina de Lena)は文献的な裏づけはないが、バットレス、レリーフ、空間構成からナランコの建築家が建てたものと考えられている。方形の内陣は1ベイずつ前後に延び、さらに方形のアプスが四方を固めるという特異…
サンタ・マリア・デ・ナランコのすぐ近くにあるのがこの教会です。緑に囲まれた今でもいい場所ですね。ナランコに隣接するために王宮に関連した礼拝堂とも考えられますが、記録が全く残っていないというのが実情です。同じ建築家が設計したというのはもちろ…
サントゥジャーノ/Santullano, Oviedo ティオダの最後の作品とされるサントゥジャーノ(またはSan Julián de los Prados)は半島における同時代最大の教会堂で、方形のアプス、切石積み、柱頭も柱基ももたない外陣の角柱、アプスのトンネル・ヴォールト、ナ…