2012-06-01から1ヶ月間の記事一覧

ホセ=ベニート・チュリゲラ

José Benito Churriguera (マドリッド/1665〜1725年)はセゴビアのカテドラルにあるサグラリオの祭壇(Sagrario, Segovia, 1686〜90年)の作家。ブルボン家の王女マリア・ルイサの棺台のコンペ(1689年)に勝ち名を上げている。1690年10月8日に王宮の設計助…

セルダ案の建築

建築レベルでもゼルダ案の前衛的な提案は注目に値するだろう。 それぞれのブロックは二辺のみ、それも二十〜二十四メートルの奥行きだけに建築面積がとられ、ブロック内のそのほかの空地は緑地に当てられ、十八世紀初頭シウタデーリャが建設される以前の田園…

セルダ案の前衛性

セルダの「都市改造と拡張の計画」、いわゆる「セルダ案」はグラシア市をはじめとする周辺小都市を厳格な格子状にバルセロナ市と結んだグリッド都市計画である。 このグリッドは海岸線と平行に切られて、二本の対角線がそのグリッドの上にオーバーラップされてい…

チュリゲラ

Churriguera一族 活動:17〜18世紀 スペインの建、装一族。マドリッド、サラマンカで活躍する。この一族が生んだスタイルから「チュリゲレスコ」(churrigeresco, チェリゲラ風)という用語が生まれ、これが絶大のスペイン・バロックの絶頂という意味に同義…

市のロビーラ案

市もこれを黙ってはおらず、委員会をマドリッドへ送って抗議を申し込むのだが、すでに決議されているセルダ案を引っ込ませるはずもなく、市のコンペに入選案を計画の参考意見としてセルダ案と比較検討するという回答しか得られなかった。 七月末に締め切られ…

イルデフォンソ・セルダ・イ・スニェール

Ildefonso Cerdà 生:Centellas [バルセローナ県]/1816年 没:サンタンデール/1876年 スペインの技、都。バルセローナの市街地拡張計画「エイシャンプル」を立案(1858年)。新市街で格子状のグリッドを引き、現在の街の原形をつくった。彼の都市計画は…

ジョアン・デ・カスティーリョ

João de Castilho活動:1515〜52年 スペイン・カンタブリア地方の片田舎Castillo de Siete Villasの出身の建で、スペインで修行後、ポルトガルで活躍。ブルゴスのカテドラル、セビリアなどで仕事をし、1507年にブラガの司教デェィエゴ・デ・ソウサに呼ばれブ…

市のガリーガ案

いわゆるセルダ案が成立する以前に、市の建築監督官ガリーガ・イ・ロカ(一八〇四〜八十八年)によるエイシャンプレ計画が発表されている。 これは市が予備計画としてガリーガに委託したもので、計画の一八五七年の翌年四月六日に諮間委員会を通過している。 これ…

セルダの理想論

いわゆるカルリスタ戦争の時代で家族からの送金が不可能なことから、マドリッドの学生時代はどん底生活を送ったこともある。 リベラルな家風に育ったせいもあろうが、この学生生活が後年「バルセロナの労働者階級の統計論一八五六年」を刊行させ、急進的な政治…

フェルナンド・デ・カサス・イ・ノボア

Fernando de Casas y Novoa生:不詳 没:1749年 スペインの建。ガリシア地方でのバロック・スタイルの代表的作家。ルーゴのカテドラル回廊をガブリエル・カサス(Gabriel Casas)の図面に従い建設(Lugo, 1705年)。同カテドラルではヌエストラ・セニョーラ…

ペドロ・カーロ・イドローゴ

Pedro Caro Idrogo 生:不詳 没:1732年 スペインの建、軍。フェリペ5世(在位1700〜46年)下に働く。1712年以降没年までマドリッド王宮の建築技術士。アランフェス宮(Aranjuez)の中央部及びキューポラのあった南翼とシンメトリックに北翼を建設した。彼の…

エンジニア・セルダの発想する都市

中央政府は一八五四年の末、具体的な拡張計画を進めていくにあたって、イルデフォンソ・セルダに市の周辺の地形側量図作成を依頼している。 セルダはその翌年十一月、5千分の一の実測図を完成させているが、これに「統計情報」というものを附加させている。 セル…

中世型都市バルセロナの終末

ところで、シウタデーリャはついに要塞としては機能するにいたらず、牢艦として使われたにすぎないのだが、その政治色の濃い存在は市民から嫌悪され続け、一八四一年には軍団指令官の不在をよいことに、市がこの要塞の取り壊しを始めたというエピソードさえ…

アルフォンソ・カルボネル

Alfonso Carbonell生:不詳 没:マドリッド/1660年 スペインの建。1620年から王室建築長となる。マドリッドのエンカルナシオン教会のファサード(Encarnación, 1611年)、ブエン・レティーロのカソン(Buen Retiro, 舞踊会場としてつくられ、現在はプラド美術…

前工業時代的解決

これはファサードの整備をその平面性を取り戻すことによって解決を求めようという、産業隼命を目前にしての都市での前工業時代的解決といえるものであろう。 バルセロナ市のこの人口急増も十八世紀の末から十九世紀の中頃まで戦争 や疫病 が相次いで、横這い…

アロンソ・カーノ

Alonso Cano生:1601年 没:グラナダ/1667年没 スペインの建、彫、画。象眼細工師のミゲル・カーノ(Miguel Cano Pacheco, 16世紀後半活動)の息子。この父と絵の教師をしていた母に習い、早熟した才能が両親を驚かせた。また彫刻家マルティーネス・モンタ…

ギジェン・ボフィール

Guillen Bofill活動:1400年頃 スペインの長。ジローナのサン・フェリウ教会(Sant Feliu)で石工長を1381~83年勤めていた事が分かっているが、ボフィールの決定的な貢献はジローナのカテドラル建設である。この建設は1316〜20年に内陣から始まっていたが、三…

都市の零落

この間、都市計画上の改普処置が皆無とあっては、都市の零落ぶりは避けがたい。 しかも建築面積の増加からくる都市環境の零落だけでなく、使用建材の低質化もこれにともなって起きていた。 増築部分のほとんどは、既存部の石造に対して低廉で軽量であるレンガ…

フェルブーンのシウタデーリャ

フェルブーンは十四年のバルセロナ包囲戦に直接参加したことから、この東端が市の弱点であることを誰よりもよく知っていた。 当時の市は西方の高台モンジュイック丘に要塞(現在軍事博物館として保存されている)をかまえ、海側もぐるりと市壁に囲まれ、累壁内…

フランシスコ・デ・ベセーラ

Francisco de Becerra 生:不詳 没:1605年 スペインの建。建築家アロンソ・ベセーラ(Alonso Becera)を父とし、生地カセレスの片田舎エルギフエラ(Herguijela)に仕事を残すが、若くしてメキシコへ渡る。メキシコ、プエブラのカテドラル設計者(Puebla, 1575…

工業都市化へのバルセロナ

モデルニスモのバルセロナを理解するにはどうしてもこれより百五十年は遡らなければならない。 一七〇五から十四年まで、カタルーニャは王位継承戦に巻き込まれて、その継承者フェリッペ五世に対して叛乱を起こしたのだが、フランスとの合併軍によるバルセロ…

フランシスコ・バウティスタ

Francisco Bautista 生:1594年 没:1679年 ジェスイット会士でスペインの建。15歳でジェスイット会に入り修業しながら建築を学ぶ。アルカラ・デ・エナーレス(Alcalá deHenares)で彫刻家、大工として従事していたことが1618年の日付けのあるドキュメントか…

ゴールドラッシュ

産業革命後のゴールド・ラッシュ(一八七八〜八十二年)は、中央マドリードから圧迫され続けてきたこのカタルーニャ分離主義を再燃するに充分な経済的発言力をもたらした。それに平行した政治的勝利は、この史的願望の独立意識をリアリティーのあるものへと確実…

ファン・デ・バダホス

Juan de Badajoz (通称El Mozo) 生:1495年頃 没:不詳 スペインの建。●同名の建築家(通称El Viejo, 1522/25年没)の息子で、レオンで活躍。父は著名な石工として知られカテドラルのマエストロとして、従事したほかその北側に図書館の建設をしたがその死後…

ルイス・デ・アレバロ

Luis de Arévalo 活動:18世紀 スペインの石。グラナダのカルトジオ会修道院の聖器室(正式名はMonasterio de Nuestra Señora de la Asunción, 俗にLa Cartuja, Granada)を実現させている(礼拝堂はF.ウルタード*の設計)。マヌエル・バスケス(Manuel Vá…

カタルーニャの産業革命

近代工業を告げる蒸気機関がカタルーニャに導入されたのは一八三六年のことである。スペイン初の鉄道がバルセロナとその衛星工業都市マタロとの間に開通したのが一八四八年のことである。 カタルーニャのモダニズムと経済的主導権はこれで首都マドリッドを大き…

第三章 ガウディたちのモデルニスモ

バルセロナのガウディたち ガウディをバルセロナの街に尋ねた人たちは、一様に日本の本棚から見る―種異様な、いわゆるガウディ様の特異性、突飛性とは違った印象をバルセロナの街で受けることだろう。 何故かといえば、このバルセロナの街では必ずしもガウディ…

テオドロ(・デ)・アルデマンス

Teodoro (de) Ardemáns 生:マドリッド/1664年 没:マドリッド/1726年 ドイツの建、画、論。ドイツ出身の近衛兵の子として生まれる。若年には王室近衛兵として仕えている。科学を修め、数学を学び、アートにひかれ、アントニオ・デ・ペレーダ(Antonio de …

ファン・デ・アラバ

Juan de Álava 生:1480年? 没:1537年 ゴシック・スタイルで建築を修業し、プラテレスコ様式(銀細工様式)の過渡期に仕事を残したスペインの建。1502年頃イタリアへ旅行したらしく、つぶさに新しい建築の動きを察した。1505年にはサラマンカ大学の附属礼拝…

コロニア・グエル教会の構造

これよりもっと不解なことはコロニア・グエル教会で、この計画はガウディが十年間かけあのカテナリー模型 を使って設計したが、実際には地下聖堂しか完成できなかったというプロジェクトである。 このカテナリー模型はすでに見てきたように、想定したプラン…