2012-02-01から1ヶ月間の記事一覧

石切り場

さてミラ氏のこの家は通称"ラ・ぺドレラ"と呼ばれるが、それはカタロニア語で石切り場を指すように、その奔放に積み上げられた石の形態から付けられたニック・ネームである。ところがその石切場という表現とは裏腹に、荷重の大半を鉄筋の入った石やれんがの…

図版1 La Sagrada Familia

サグラダ・ファミリア教会鐘塔。 アントニ・ガウディ作、1883〜1926年〜。 ガウディのライフ・ワークとなったこの教会との出会は 、彼が31歳の時、ほとんど彼自身も考えていなかったような偶然から始まっている。この教会建設の発端はそれから更に9年を溯る1…

悲劇の週間

それを引き起こした原因は、1909年7月に起きた政治的性格を帯びた一つの事件で、後にこれは"悲劇の週間"(Semana Trágica, 1900年7月26日から8月2日)と呼ぶようになるものである。これで建設中であったラ・ペドレ ラも、 その労働者のゼネストにあったわけで…

中扉写真 Montserrat

モンセラ。 「切られた山」Mont-Serratという意味のモンセラ山の造山は意外に新しく新生代第二紀で、その奇怪な風貌に「魔の山」と呼ばれたり、「魔法の巨入」「死人の顔」「ミイラ」とも呼ばれてきた。トーマス・マンは小説「魔の山」をこのモンセラに取材…

ラ・ペドレラの申請用図面

ガウディはこれに対してふたつのプロジェクトを残している。第一のそれはひとつのパティオを中心に展開されるもので、第二のそれは実現されたもののようにふたつのパティオを中心に住居が配置されるものである。前者は上り専用、下り専用のふたつのスロープ…

王立ポブレットの修道院

メインエントランスから修道院をみる かつての王宮のあった部分 参事会室 回廊 回廊柱頭 教会堂交差廊部を回廊2階からみる 教会堂内陣 王家の墓が収まっている交差廊部

4/3 ラ・ペドレラ

自分のみすぼらしい持ち家を建て替えるために有能な建築家を探していたバトリョ氏に、ガウディを推薦したのはほかならぬペドロ ・ミラ氏であるが、ミラ氏がガウディをバトリョ氏に推薦したのは別の理由があったらしい。というのもミラ氏自身,信頼のおける建…

ポブレットの修道院 2012.01.06 Monasterio de Poblet

サンタス・クレウスの修道院を前日見学したが、その隣接の村レスプルガ・デ・フランコリL'Espluga de FrancolíのホテルHotel la Masia del Cadetに泊まる。クリスマスの時期は混んでいたのかもしれないが、野焼きネギ、カルソッツのシーズンには若干早くホテ…

コロニア・グエル

コロニア・グエイの平面図

カサ・バトリョの図面

建築確認申請用の図面 ここのはファサードが一応描かれて入る しかし、シンメトリー 自然光の導入、換気を考えてパティオが取られているが意外にプランは使いにくそう パーティションも直線で描かれている ガウディの現場で描いたスケッチ こちらはかなり実…

カサ・バトリョ・テラスと背面のファサード

コロニア・グエルの地下聖堂 part 6

ガウディはこう言っている。「ゴシック芸術は不完全である。解析の途にある。それはコンパスの様式であり,方程式の様式であり,工業的反復の様式である。その安定性はバットレスが支柱を支えるということに常に頼っている。つまり不完全な軀体だからこそ松…

カサ・バトリョの屋上

この当時は保険会社IBERIAがオーナーで、その警備員のおじさんがガウディ友の会の紹介状を持って行くと屋上を見せてくれた 手前の煙突はその後80年代に修復された 1973年11月10日撮影 オーナーが変わり第1次の修復が終わり、見学者を受け入れるようになった …

コロニア・グエルの地下聖堂 part 5

ガウディの懸垂曲線模型は、現在の構造実験用の模型というところであろうか。リブや柱という荷重のかかる部分はケーブルで代用され,それぞれの部分にかかる個々の荷重はそれ相当の鉛が入れられた小さな袋で代用され,複合したヴオールトの重ね合わされた三…

カサ・バトリョの屋上階

賃貸し住宅のドア 金文字はカサ・カルベを引き継いだスタイル ドア自体は一枚板ではなくいくつかのピースを組み立てているから、木の狂いはでない エレヴェーターはガラスで囲われ、手すりが3段についている 屋根裏部屋があり、これをパラボラ・アーチを連続…

コロニア・グエルの地下聖堂 part 4

コロニーの全体計画は,ガウディがその死に「右腕を失った」と嘆いたベレンゲールが担当している。建築主はガウディの生涯のパトロンであったグエル伯。98年になってコロニーに教会建設の話が持ち上がれば,まったく当然のことながらその設計はガウディがや…

カサ・バトリョのパティオ

パティオを見上げる 上部はほとんど紺色、窓も絞ってある上部の賃貸し住宅の内部はガウディはそれほど手を加えなかったのだが、パブリックの部分、例えば内パティオは、ガウディの建築に対するヴィジョン、細かな配慮が見いだせる。内パティオの明かり取りの…

コロニア・グエルの地下聖堂 part 3

僕は実測で冷え切った体をほぐすためにこのコロニーのほうへよく歩いて出たものだった。2〜3層の前庭を持つイギリス風の連続住宅がそこには建ち並んでいる。おもしろいのは,イギリスではこれらの労働住宅がタイポロジーだけでなく,オーナメントやディテー…

カサ・バトリョのダイニング

ダイニングのシンボルは二本の柱頭部で一体となった円柱であり、この背後にテラスへ導くドアが付き、サロンと同様なシルェットを描いている。天井は開口部上端までカーブをつくって落ち込み、璧面いっぱいに閱けられた開口部と一体化している。室に置かれた…

コロニア・グエルの地下聖堂 part 2

ところで,駅あるいはサンタ・コロマのコロニーの所有者であるグエルの居館からもこの教会へ自然とたどり着いてしまう。教会へのエントランスは村というか工場を向いて置かれている。ちょうど教会のあるところで丘は終わり,そこから南方へはコロニーが,さ…

カサ・バトリョの家具

闘牛士の帽子のようなかたち これは椅子を移動するときに掴みやすいように上部の両端がデザインされています どちらかと言えば小ぶりの椅子ですから実際この部分を掴めば簡単に動かせられます こちらはダイニングの壁際に置かれていたベンチ 間に小さなテー…

コロニア・グエルの地下聖堂 part 1

コロニア・グエルの地下聖堂 スペイン,バルセロナ,サンタ・コ口マ・デ・セルベジョ,1908~15 アントオ・ガウディ・イ・コルネ CRYPT OF GÜELL COLONY Santa Coloma De Cervelló. Barcelona. Spin/1908 -15 Antonio Gaudí i Cornetちょうど10年前のことにな…

サロンの家具式のチャペル

サロンには日本の仏壇に似たような扉の付いた家具もどきのチャペルが置いてあった。この扉はやはりカーブが付き、観音開き式の四枚構成であるが、そのカーブは完全に重なり、全てが折り畳め重なるようにつくられている。サロン脇の廊下を閉じる6枚構成の扉も…

カサ・カルベのレストラン

お昼の定食です 改装以前の様子はこちらです http://d.hatena.ne.jp/Arquitecto+AntoniGaudi/20120114/1327123984

カサ・バトリョ・サロン

オーナーが変わってからここにあったテーブルはありません 天井のランプはガウディが選んだものとは違ったものが付いています しかもこの部屋には礼拝堂がありました 内側の円柱で支えられるアーチ、ガラス面そして更に外部には柱が建ち空間の奥行きを見事に…

サルバドール・ダリ紀行

73年春のポート・リガット 一般公開されているダリの家 2009年9月16日撮影 ダリがまだ生きていた73年の春、彼が夏の間住むポート・リガットの“卵の家”を見に行ったことがある。当時はまだ海で生活している人が近くに住んでいたのだろう、ひどくかわいらしい…

スペインの現代建築

現代建築とGATEPAC スペインの現代建築を語るには合理主義時代にまで遡ることが必要になってくる。1929年のバルセローナ万博で見せられたミースのあの小さいが近代建築のエッセンスのような作品(http://d.hatena.ne.jp/Arquitecto/20110614/1308…

カサ・バトリョのサロンの建具

メインの部分と両側の小部屋とは屏風のような建具が入って、これらを仕切っている 待合室を更に進むと、正面ファサードに面したバトリョ家のサロンに出る。サロンは両側に小室を設け、建具によって区切られたり、3つのスペースを同時に使うこともできる。こ…