2012-04-01から1ヶ月間の記事一覧
1992年は新大陸発見から500年に当たり、スペイン各地で各種の記念行事が行われようとしている。このうち直接関連していないのだが、92年にスペイン国内ではセビリアの万博とバルセロナのオリンピックの開催、そしてECへの全面加盟が決まっている。 バルセ…
サグラダ・ファミリア教会の塔下部は周囲を螺旋階段としているが、その中央部を中空とする二重構造である。ガウディはここの内部に鐘を吊り下げることを計画していた。鐘の研究がそこで行われ、まずは技術的な研究書を探し求め国外の図書館へ照会したが、い…
自ら街頭に出て建設資金を集めるという努力にもかかわらず、模型や図面という形である程度その論理的な形態を掴み得たのであるが、建設の方は遅々として進まなかった。彼が生前に完成したのはわずかに御誕生の門の4つの鐘塔のうちの左端、聖バルナバの塔だけ…
スペインには、歴史的に複雑なもう1つの状況がある。それはフランコの独裁政権の崩壊やデモクラシーが戻つた、というだけでは解決しない。つまり地方自治の問題で、スペインは現在でも、外交上はマドリツとしているものの、それぞれの地方が違った形で成立し…
その後、同様な政治的背景があって,パブリック・スぺースがバルセロナ市内で続々作られるようになった。このきつかけとなったのが,81年、新たにデモクラシー市役所として出発しようとしていた、バルセロナ市役所の都市計画課にいたオリオール・ボイーガス…
ガウディはこの間にグエイ公園の家を引き払って、サグラダ・ファミリア教会の建築現場小屋の一室に寝起きし始めるのである。時が掌からこぼれ落ちる水のようにたっていった。 身の振リかまわず,孤独な生活だったが,あらゆる種類の美に囲まれて暮らしていた…
事の起こりは…… 事の起こりは1975年だった。40年間続いた独裁政権は,フランコの死によって終末を告げた。スペインは,ファン・カルロス国王を冠する立憲君主国のもとに再出発していこうとした。 この時、半数近くのスペイン人は生まれて初めて選挙というも…
ガウディは限りある人間理性に対して、幾何学を使い論理化することによって世界を秩序づけようとしたのであろうか。またそれは現在我々が大架構を構築する場合の構造理論の方法に等しい。それではこの構造主義はいったいガウディにとってどこに根を置くもの…
現存する写真からすると聖バルナバの彫刻は少なくとも四つの模型がつくられたことになる。しかも実現されたものは四つのうちのどれでもないのである。『形象のコンセプトはあらゆる光とあらゆる視点から独立してとらえられなければなりません。紙にとらえる…
ビルバオの街は昨年10月にまつたく姿を変えてしまった。いまの街にははっきりとニューヨークやパリからの風が吹いている。街を歩く人種が、レス卜ラ出されるメニューが、つい最近まで造船、製鉄という斜陽産業の最先端をいくような工業都市だったとは想像も…
マタマラがモデルとなったベルナべ ここには様々なサイズのベルナベが見える 実際作られ、設置されたベルナベの彫像
ガウディがエルナへ行ったときに撮られた写真
ご誕生の門に張り付く彫刻群 2012年4月15日撮影ガウディはスケッチの上に薄紙やコピー用の布を当て、それを修正し、更にその上に薄紙を重ね修正をしていくという方法でデザインを完璧化していったのである。もし、サグラダ・ファミリアが焼き討ちに合わなく…
2012.04.03 Elna マルセイユではコルブのユニテ内にあるホテルに泊まり、シャヴァルの作った宮殿を見るためにリオン方向に向かった。シャヴァルの夢の宮殿に行ったのだが、これについては別に日に回すとして、帰路再度Elna訪問を挑戦した。どうやったかとい…
壮大なガウディの構想によれば、教会は身廊奥行き95メートル,翼廊60メートル、中央身廊幅15メートル、高さ45メートル(外部は65メートル)、側廊幅各7.5メートル、高さ30メートル(外廊は35メートル),中央門鐘塔高さ105メートルおよび107メートル、両側門(つ…
2012.04.01 Palais Lomchamp H.R.ヒッチコックの"19世紀から20世紀"の建築Henry-Russel Hitchcock, The Pelican History of Art, Architecture: Nineteenth and Twentieth Centries, 1958, Middlsexは我々の世代ではバイブルのようなものだった。この中にマ…
ガウディはもう60歳を越えている。そしてサグラダ・ファミリア教会の建築家となってから、既に30年を経る,家族もなければすでに功名心も捨てている。あるものは膨大な仕事をこなしていくこと、それを支える精神、わずかだが頼りがいのある協同者、それに建…
Elnaを探しながらここに着いてしまったSaint-Génis-des-Fontainesは10世紀起源。回廊は一部フィラデルフィアミュージアムに売られてしまったが、この入り口部分が一番古く、ロマネスクの最初期の例だそうだ。作者はどうやらカタルーニャ人であったようだ。…
バルセロナ大学では学長のエリアス・ロージェントがカタロニアの建築モニュメントを見学することを推奨していたが、この教えが後年プーチ・イ・カダファルクによって全4冊のカタルーニャ・ロマネスク建築という大著となって集成され、あるいは現在のMNAC国立…
丁度この年に次世代を担うスター建築家であるル・コルビュジェはドミノ方式という建築のシステムを発表し、サンテリアは"未来派建築宣言"にサインをしている。グロピウスはアドルフ・マイヤーとともにドイツ工作連盟博覧会のモデル工場を建設。アメリカでは…
マルティネイがまだ学生のころである1915年12月19日の日曜日、午後の暇を持て余してそれに郷里のバイスへクリスマス休暇で帰る挨拶とを兼ねて、ガウディのいるサグラダ・ファミリア教会を訪ねた。午後もかなり遅く、食事時間もとつくに過ぎているというのに…
現在のバルセロナ。 1929年、万博の時の政府館だった建物、その後力タルーニア・ロマネスクのフレスコ画のコレクションを中心に集めて"カタルーニャ・アート・ミュージアム"となっていたが、現在、市の美術館をすぺてここに結集して一大美術綰に仕立てようと…
ガウディが残した教会のCD。これをもとにしてかなりの研究者が図面や、模型で完成の姿を描いています。いずれも、サグラダ・ファミリアと同じ工事続行を狙ったものが多いのですが、幸か不幸か贖罪の教会ではないこと、バルセロナ市内にないので観光客を集め…
図版201〜203 Barcelona during Modernisme era フラメンコの激しさとはまったく逆に、サルダナという力タルーニアの民俗舞踊は、落ち着いた静かな中に、民族の持つ自意識のようなものを表現している。グエイ公園の屋上庭園でサルダーナを踊る(図版201)。…
図版189〜191 Colonia Güell コロニア・グエル。 わずかに完成されたコロニア・グエル地下聖堂の内部(図版189〉と、力テナリー模型によるガウディの独自の制作法(図版190〉。この力テナリーの模型を写真に撮り、反転させ、その上にグワッシュで完成予想図が…
図版175 La Sagrada Familia 建設途中のサグラダ・ファミリア教会御誕生の門。 1905年。図版176 ・177 La Sagrada Familia サグラダ・ファミリア教会、石こう模型室。 1904年。図版178 La Sagrada Familia サグラダ・ファミリア教会、石工作業場。 1904年。…
近年の修復では主に、教会周りのペーブメント、あるいは戦後に仮設で屋根が架けられたのですが、これを取り払っています。また、教会のメインフロアとなる部分へは大階段からではないのですが、裏側から登れるようになって、どういうプランを考えていたのか…
図版159 Rambla Catalunya 62 ランブラ・カタルーニャ62番地の家。 作者不詳。 モデルニスモ建築にステンド・グラスはつきものだが、ファサードに描かれた挿画もそのひとつ。《Joan Pratsはミロをはじめとする若い芸術家たちの面倒をよくみた帽子屋。パセオ…