ドメネクとガウディ

ドメニク・イ・モンタネールに比較するならば、ガウディは自然主義によって語られ、彼特異の鉄細工やセラミック、あるいはさまざまな手仕事や中世的な監理法、独自の設計プロセスといったものでそれは飾りつけられているが、彼の創造したものは、コロニア・グエル教会のケーブル模型や、聖家族教会の身廊部の図式構造解析などにみられるようにまったく時代を乗り越えた思考によっているのである 。
ガウディの色彩と形態の自由奔放さと空間構成の突飛さは、こうして当時の建築家たちだけからではなく、むろんカタル−ニャの有産階級の要求を満たすものであったし、また中世回帰主義にも似合うものであったため、アカデミズムから孤立し、国際的支援 というものを得られなかったにもかかわらず、モデルニスモの中心的存在となった。
しかし、あらゆる意味で、ガウディはまさに時代の子でもあったのだが、彼の建築にはビィセンス邸建設から1世紀を経ようとしている今日ですらわれわれに語るものを秘めているという意味では、未来への予言すらいまも含んでいるのではないだろうか。
ガウディはちょうどバロック期におけるチュリゲラ家が果たした位置を、低迷していたスペイン建築史の中で占めるかのように登場したのが、チュリゲラとその影響圏とはほとんど逆関係のように、ガウディをとりまく建築家たちには正確な意味で誰ひとりとして彼を理解できたものはなく、モデルニスモもあるいはガウディニズムも彼の個人的演技で終わってしまうのである。