2011-09-01から1ヶ月間の記事一覧

ビセンス邸の自然主義色

主正面,つまり庭側からの正面は対称形をとっていて,それを強調するかのように,ギャリ—の中央に円形の噴水を上げ,それから上がつて付け柱が垂直線を引き,その伸びを強調するように妻が左右に流れ、更に最上部は装飾的な煙突が付いている。外壁は3種類の…

モデルニスモ Part 42 べレンゲールIII

建築学校を中退したべレンゲ一ルはこれらの作品の中でも彼自身の名前を使うことはできなかった。中退するとアウグスト・フォント(August Font)のもとに働き,その後1892年グラシア市の建築課に働くためにフォントを離れ,その市の建築家ミケル・パスクアル…

ビセンス邸1階

ビセンス邸の建築申請用にガウディが出した図面 主階の平面は明快で、対称形をとり、玄関入口にアクセントを付け、またそれと反対の喫煙室出口とその奥の角を四十五度に切り、庭へのアクセスに変化を与えている。玄閣室から奥へ進む方法はガウディのよく用い…

モデルニスモ Part 41 べレンゲール II

べレンゲール IIベレンゲールの主な作品 1888—1890? ボデーガ・デ・グエイ,ガラ一フ 1893 リベルタッド広場,パルセ口ナ 1900 グラシァの家,サン・ホアン教会の家 1900 グエイ伯爵のエル・ポアルの家 1904 グエイ公園の家 1905 マヨール・デ・グラシァ街…

3/1ビセンス邸

ガウディの作品、その成熟期にあっても中世様式的感覚は拭いきれなないが、もうひとつムデハル様式への傾倒も認められるといえるだろう。これは既に2/1で述べたマドリッドのネオ・ムデハリズムとの関連を指摘すべきかもしれないが、ガウディとマドリッドを結…

モデルニスモ Part 40 ベレンゲール

フランセスフ・ベレンゲールは(Francesc Berenguer, 1866〜1914年)は3人兄弟の末つ子としてガウディとは同郷の小商業都市レウスに生れた。彼の父はその土地の教師で,ガウディの恩師の一人でもある。ベレンゲールが15歳になると家族はバルセロナへと出た。そ…

モデルニスモ Part 39 ジョアン・ルビオ・イ・ベジュベール

ジョアン・ルビオ・イ・ベジュベール(Joan Rubió i Bellever,1870〜1952年) コロニア・グエルの工場長の家(1900年) コロニア・グエルのエスピラル Frare Blanc Casa Isabel Pomar, Barcelona (1904〜1906年)

カフェ・ペラヨ

ともかく30年前半のガウディは進歩派であり、純科学的な指向を持っていたに違いない。またそういう連中と接触さえ持っていた。つまり、建築家ドメネック・イ・モンタネール、画家シモン・ゴメス(Simón Gómez, 1845 〜80年, 若くして他界するがムりージョな…

モデルニスモ Part 38 エンリック・サグニエ・イ・ビラベッキア

エンリック・サグニエ・イ・ビラベッキア(Enric Sangnier i Villavechia,1858〜1931年) La Caixa 1972年3月撮影Rambla catalunyaの家

グラウ司教

グラウ司教しかし、この小さな仕事での重要な事は同郷人グラウ司教の存在である。というのもこのころからの司教との接触あたりから,ガウディの宗教への接近が窺えられなくもないからである。しかしこの司教とガウディについては改めて後述することにしたい。…

モデルニスモ Part 37 ジョセップ・ドメネック・イ・エスタパ

ジョセップ・ドメネック・イ・エスタパ(Josep Domènech i Estapá, 1858〜1917年) 裁判所1887〜1908年 1972年3月撮影 以上2011年10月4日撮影

へススマリア教団

また職業年の初期に小さないくつかの宗教作品を残しているので、それを次に見てみることにしよう。コミ—ジャス宮、チャペルのいくつかの家具については既に述べた通りである。この小さな仕事は、ガウディが師と仰いでいた建築家マルトレイを通じて得たもので…

モデルニスモ Part 36 ジョアン・アミゴ・イ・ガリーガ

ジョアン・アミゴ・イ・ガリーガ(Joan Amigó i Garriga, 1875 1958) Avinguda Martí Pujol, 23-25, Badalonaの家(1906年) 階段室がタワーになっていて、これに一軒家風のものが張り付く、角地にあるので独立住宅として設計して、通りに面しているから隣接す…

宗教への関心

大学に入ってからといえば、その同級生ホアキン・バセゴダ(Joaquim Bassegoda, 1862-1940)の証言によれば「教会に対して一度としてガウディの軽蔑の言葉を耳にしたことがない」ということである。しかしながら、それは宗教へ近づいていったこととは別であろ…

モデルニスモ Part 35 マネル・サイラック・イ・カレーラス

マネル・サイラック・イ・カレーラス(Manuel Sayrach i Carreras) カサ・ライラックCasa Sayrac 作品の少ないというかサイラックはこれしか設計していませんが、これはモデルニスモらしい、極めた作品です

2/4 サンクトウス

後年、典礼式研究に長じ、晩年ではミサを欠かさないばかりか、資金を集めるために自ら帽子をとつて寄付を求め歩いたといわれるガウディ、果たしてその青年期はどうだったのだろうか。 例えば、ボブレ修道院修復計画の動機は何であつたか、宗教的なものか、そ…

モデルニスモ Part 34 サルバド・バレリ・ププルイ

サルバド・バレリ・ププルイ(Salvado Valerí Pupurull1873〜1954年) カサ・コマラットCasa Comalat, Barcelona,1909〜1911年 1981年2月撮影 バロック風のメインファサード最上部 トリビューン 正面ファサード詳細 メイン・エントランスのドア詳細 メイン・エ…

旧港の当時の様子 このプロジェクトは3枚の図面によって伝えられているが、それによればうち2枚は街灯そのもののデザインで,残りの1枚はその配置計画である。鉛筆書ききのこのスケッチは海側からバルセーナ市を描いており,8つの街灯が見えるが、海岸線は広…

モデルニスモ Part 33 タラサ市役所

モンクニルはタラサ市の出身で市の建築官を務めていた。その頃に市役所をデザインしている。(1900〜1902年) 若干モデルニスモ風ではありますが、他の作品にくらべて何とも無難なデザインではあります。年代的にはVaporの工場、マシアなどかは若干その後年で…

バルセ口—ナ電灯計画

もうひとつ、レアル広場の街灯配置計画,マタロの協同組合のプロジェクトに続いて,バルセロナの海岸線にモニュメンタルな街灯を立てるという計画をガウディは残している。都市計画への関心をうかがわせる計画案でもある。 このプロジェクトはバルセロナの学…

マタロの工場

これからどんどん出世してやろうという建築家にとって工場建築など興味の薄いタイプの建物であったに違いない,ガウディはここで初めてパラボラ・アーチを使うのであった。スパン12メートル,せいは6メートル60センチというところに,1〜1メートル半の,厚さ…

モデルニスモ Part 32 タラサの工場

モンクニルのタラサにある工場 Terrasa (旧名Vapor Aymerich, Amat y Jover)1907年完成 現在のミュージアムはこちら http://www.mnactec.cat/castellano/edificio_museo.htm

モデルニスモ Part 31 マシア・フレイシャ

ドメネク・イ・モンタネール,プ一チ・イ・カダファルク,ラファエル・マソ・イ・バレンティの三人でモデルニスモを語ることはできない。例えばリュイス・ムンクニイ(Lluís Muncunill, 1868—1931)のような表面的な平面性と装飾性を特色とする建築家,サルバ…

協同組合のプロジェクト

ガウディの協同組合精神への同調はこのプロジェクトの集会場の壁に書かれた次のような標語からも判断できよう。 『兄弟愛ぐらい計り知れないものはない』 『同志よ!団結せよ!善心を慣行せよ!』 『技能の人になりたくないか、親切になれ』 『人類を推進さ…

日曜日のマタロ

今日は日曜日ガウディもどきでマタロへ行ってみた。ガウディのころはシウタデーリャに近いフランス駅というところから汽車が出ていたのだが、今は家からだと一番近いのはカタルーニャ広場の地下にある駅からということになる。往復6.2ユーロを払って電車に乗…

モデルニスモ Part 30 テイシドー工場 Fábrica Teixidor, Girona

マソ V テイシドー工場 1910〜1911年 マソの圧巻はこのテイシドーの工場だろうか 比較的改装、内装などの細かな仕事が多いマソだ オリジナルドローイング プラン 左手が事務所塔 右側がオーナーの居住部分

マタロ通い

いずれにしろこの時期には仕事とどうやら恋愛を兼ねても頻繁にマタロを訪れるのであった。 マタロの協同組合結成の動機はカタルーニャ蒸気機関の導入(1836年)と時を同じくした頃で、左翼の連中によって発案され、マタロ在住の労働者たちによって受け入れられ…

モデルニスモ Part 29 マソの家具

マソ IV El Soler邸の食堂の椅子 1906〜1907年 自邸の寝室の家具 押花にされているのは結婚式の時の花束 1911年 1979年にバルセロナであったマソの家具展

モデルニスモ Part 28  カサ・テイシド

マソ III カサ・テイシド Casa Teixido, Girona, 1918〜1922年 コーナーのシリンダー、それがタワーになって終わり、しかもセラミックで覆われている。これはバルセロナのモデルニスタたちが、エイシャンプレというエンジニアがデザインしたきっちりと格子状…

ペペタ

マタロの女つまりジョセファ・モレウ(Josefa Moreu, 1857〜1938年)、通称ペペタはマタロ生まれの裕福な家庭に生まれた女性で、ガウディが生涯愛を告白した唯一の人と言われている。4人兄弟の長女であるペペタはせいが高く、金髪美人でしかもインテリな彼女は…