「あとがき」にかえて

このようにスペイン建築史は南西ヨーロッパと北アフリカの接点という、その地理的位置条件がために波乱にとみ、8世紀に及ぶ回教徒支配という歴史、あるいはキリスト教圏にありながらも回教徒の足跡を消しがたいという文化状況が、西ヨーロッパからも北アフリカからも、つまりキリスト教圏からも回教圏からも輸入するという、いわば他力本願から始まっていながら、なおかつ強烈なアイデンティティーの主張をし得たために異彩を放っていて、そのうえ扇動的であるがため派手で、大胆であるがために荒削りで、洗練されていないために田舎臭くて、それでいて冬の日溜りのような、暖かな人間性に溢れ、時として天才的ですらあって、実に魅力的なのである。
しかしながら、この本が読者のスペイン建築史へのこういった期待を裏切ってしまったり、ましてや興味を奪うようなことになってしまったのなら、ひとえに著者の不尽によるところであるといえる。
ここで謝辞をほかにも述べるとするならば長い間、建築史というものが宗教建築と非宗教建築の系譜として述べられてきていて、ついこの数十年、都市計画の建築史への位置づけが始められたが、さらにこの十年来の民家というこれまでのどの範疇にも入らない研究課題の成果が確実なものとなってきているにもかかわらず、この書では民家の建築史への位置づけが明確にされていないことである。
また輸入文化、あるいは侵入文化として形成されたスペイン建築史のなかにあって、ほとんど唯一の被侵入文化となった南米のおびただしい建築群について、あるいはそれの再輸入という相関性についても言及されていないことである。
この他にもさまざまな欠陥があるとはいえこの書が果たし得る役割は闘牛とフラメンコの国、あるいは情熱の国、太陽の国スペインというイメージの打破であり、現経済力、工業力、国内文化行政、そして国際的政治発言力といった観点からの見返りとしてのスペイン文化の不当な判断への反旗でありえるだろう。
スペインは西ゴート建築を育み、アストゥリアス建築を生み、回教建築とロンバルディア建築を発展させ、エレラを必要とし、ガウディを出現させ、なによりも新大陸へ莫大な遺産を残したのである。これを再認識する契機としてこの小冊子が役に立つならば幸いであるといえよう。
最後に、こういった企画を提示された相模書房に敬意を表し、編集にお世話をかけた同社の小川格、神子久忠の両氏に感謝したい。
バルセローナにて 1979年聖ヨセフの日に   丹下敏明

ガンチェギのテニスの広場、San Sebastian


彫刻はChillidaのPeinete
建築がいいのか彫刻がいいのか分かりませんが、チジーダはもともと建築を勉強していたのですが、戦争のためにこれがかなわず彫刻家になったのですが、自分の作品設置には必ず彼自らが周囲の関係を見定め設置場所を決め、立会っていました。しかし、この荒波に立ちすさむ姿は素晴らしいですね。
奥に若干床が立ち上がっているところがありますが、ここには細工がしてあって、荒波の時にはこの下に波が入りこみ、その力で床に開けられている穴からその勢いで海水が飛び出すという仕組みです。

昨夜のミロ・ファンデーション”友の夕べ”