1. 経緯 1/1誕生

タラゴナ県レウス(Reus, Tarragona)のサン・ペドロ教区教会(Sant Pere)1852年6月26日日付けの洗礼記録によれば、昨日午前9時半、リウドームス(Riudomus)の釜師フランセスク・ガウディ(Francesc Gaudí)を父とし、レウスのアントニア・コルネ(Antonia Cornet)を母としてアントニオという男子の誕生が確認される。これが後の聖家族教会の建築家アントニ・ガウディ・イ・コルネ(Antonio Gaudí i Cornetである。当時まだ戸籍制度のなかったスペインでは教区教会の洗礼記録が出生証明や戸籍謄本のかわりをし、1870年になって戸籍制度が成立した時に、これらの記録が戸籍原本として転用された。そんなわけでガウディは公には1852年6月25日、レウスに生を受けたことになっている。ところが後年ガウディ自身はリウドームス(Ruidomus)の出だと弟子たちに何度も繰り返し語っている。とすればリウドームスの父親の家マス・デ・カルデーラ(釜師の庵)で生まれ、翌日洗礼のために母方の実家のあるレウスへ連れていかれたことになる。釜師の庵はリュードームスの村から外れた一軒家であり、商業都市レウスまでは5キロほどなのでそれも不可能なとこでないばかりか、1947年になってもアントニがその家で生まれたという証言者がいて、1952年の生誕百年を記念してその家に記念のプレートがファサードに貼られた。
また洗礼の記録からはガウディ家とコルネ家の家系が分かるが、それによると父方は二代前からリウドームスで釜師あるいは銅細工師、母方も三代前から同業者である。とすれば、アントニなど世襲的には紛れもない金属細工師であり、職人気質を受け継いだであろうことが想像できる。事実その家系や生地は後に建築家として大成するガウディを育んだ大きな要素となったことは、これから我々がその作品の中に見出すことが出来るであろう。

ガウディが洗礼を受けた先水盤(正確には戦争で壊されて、今あるのはその後に造られたものです)

サン・ペラの教会、Sant Pere, Reus


釜師の庵と呼ばれるリウドームスの市民が主張するガウディの生家

記念のプレートまである

レウスの市民が主張するガウディの生まれた家。(この家も壊されて、今あるのは戦後にできたものですが)入り口のプレートはリウドームスのものより断然大きい

周りにはガウディの生まれた家と同じような家屋が今も残っている。町の中心にある広場から5、6分のところにある、とにかく貧しい家庭に生まれたことは間違いがない。

観光客のためにつくられたモニュメント、少年時代のガウディらしい