ふたつのプレート
リウドームスの家とレウスの家どちらで生まれたかというのは実際、
分からないわけですが、ガウディの没後ガウディについての最初の本を書いた、しかも弟子であった建築家ラフォルスによって突然1951年に言いだされました。その年ラフォルスはカタル−ニャのアーティストという本を出しているのですが、この中でガウディに触れ、生まれた地名をリウドームスと書いているのです。彼がガウディの一次資料を整理し書いたガウディの伝記は1929年に出版されています。これは、その後この一次資料のほとんど全てが焼かれてなくなってしまったので、非常に信頼のおける本なのですが、これにはレウス生まれと書かれています。
近年ではそれが両市のしこりとなっています。
リウドームスの家(町の人はマシアと呼んでいるのですが、マシアというのは大きな庄屋が住むような農家で、これは農家には違いないけれどずっと質素な家です)の銘盤というか記念の大理石のプレートには次のように書かれています。
このマシアに敬虔なる建築家
アントニ・ガウディ・コルネット
1852年6月25日に生まるる
リウドームスは生誕百年にこのメモリーを我が輝く人に捧ぐる
また、レウスの生家にはドアよりも大きなサイズのコールテン鋼(実際にはコールテン鋼を真似たペイントですが)
1852年6月25日
この家に建築家アントニ・ガウディ・イ・コルネット生まれる
幼年期、思春期という芸術形成に決定的な時期を過ごす
まあ、よくあることなのでしょうが、ガウディは二人いたのかもしれません。
リウドームスでは今も村にこの写真が記念碑のように大切に保管されている。1922年になってもガウディは故郷のリウドームスを訪ねたという証の写真であるらしい。ガウディがどこにいるかお分かりでしょうか。