ロージェント

この大学の校舎は建築学校の学長でもある、エリアス・ロージェントの設計になっている。彼は建築学校設立の最大の貢献者の一人であるばかりか、当時の建築界でのボス的な立場をとっていたロージェントへのこの設計依頼は当然なことのようだった。ロージェントは建築学校の前身であるジョッチャの学校で1840年以降中世モニュメントを学ぶが、その後マドリッドへ出で建築の勉強をして、1848年建築家のタイトルを得ている。そして1871年以来には県立バルセロナ建築学校の校長を務めた。ガウディ始め、ドメネク・イ・モンタネールなどを教えているわけだが、彼自身はヴィオレ・ル・ドュックの信奉者として当時の若い建築家たちに多大な影響を与えている。
建築家としてはこのバルセロナ大学の校舎(1860 〜1871年)の他、その隣接する敷地に神学校(1882年)を実現させ、リポイの修道院の修復(1886年)など作品数も決して少なくはない。ガウディと関係するところでは、学生の頃のフォンセレの事務所でかかわったシウダデリャの公園が1887年に88年万博の会場として使われることが決まった時に当時の市長から総指揮を任されている。
バルセロナ大学


ガウディの教室があった3階の窓

http://d.hatena.ne.jp/Arquitecto/20110602/1306990388