混血のスペイン

8世紀にわたるスペインのアラブ人の支配はさまざまな面で、ポジティブにスペイン文化・社会に影を投げた、というのも、そこには支配・被支配の関係、つまり後年スペイン人自身が南米諸国で行った改宗義務の強要すらなかったばかりか、彼らは当時のスペイン人よりも更に高い文化、教養を身に着けていたのである。何よりもアッラーの法下のアラブ人は何人も平等であることで、これはキリスト教国家にはなかったことである。アラブ人はローマの建てた橋や道路、標識という既存のスペイン財産を破壊することなく、町を開いていった。現在残る地名のAlで始まるものはそのほとんどが彼らの築いた町であり、カタルーニャという支配期の短い地方ですら、Alcover, Aldea, Alforja, Albiolと数多く、スペイン全体では数百を数える。こういった中で、当然のことながらアラブ人とキリスト教スペイン人の間では混血が始まり、あるいはキリスト教徒にとどまりながらもその強い影響下にはいるのである(Mozárabe)。これらのことは建築では後にコルドバのモスクになるサン・ビセンテ教会San Vicenteに見られる。つまりこの教会は40年ばかり、アラブ人の手でキリスト教会の半分が買い取られ、ふたつの宗教がひとつの建物を共有していたのである。また彼らの文化はアルハンブラ宮Alhambraというようなアラブ圏屈指の完成された建築をつくり得たが、彼らのスペインに与えた影響からすればむしろこれは些細なものであり、混血し、独自の様式となったムデハルMudejar、イサベリーノIsabelino、プラテレスコPlaterescoといった、あるいは様式化されたというには及ばない、れんが積、セラミック、非シンメトリーな平面構成、北向きに開かれた民家といったもっと日常生活に密着した地に着いたものへの影響を及ぼしている。

コルドバのモスクについては
http://d.hatena.ne.jp/Arquitecto/20110413/1302700845

アルハンブラについては
http://d.hatena.ne.jp/Arquitecto/20110417/1303094950

ムデハルについては
http://d.hatena.ne.jp/Arquitecto/20110420/1303326353

イサベリーノについては
http://d.hatena.ne.jp/Arquitecto/20110513/1305267604
にそれぞれ掲載されています