2/2 最初の仕事

街灯計画
建築家になってからのガウディは「金持ちになって、仕事を愛すること」に人生の目標をおいていた。一部の隙もない服装、快適さ、よい食卓、おいしい食事、お酒、タバコを好み、乗馬を嗜み、車で散歩し、劇場には定席を持つという生活が語り伝えられている。しかし、その裏を返せば、豊かな経験に育まれた、仕事に対する自信が、そして才能がガウディを支えていたのである。
その才能をまず認めたのはほかならないバルセロナの市役所であった。当時市街に建てられる街灯の建設計画が市役所にはあり、それを画家で装飾家のセーラ・イ・ジベルト(Jaume Serra i Gibert, 1831-1877)が担当することになっていた。彼はバルセロナのオペラ・ハウス、リセオの休憩室というような当時ではかなり大きな室内装飾の仕事を手掛けていた人物であるが、街灯を計画する前に世を去ってしまう。そこで市役所が目を付けたのが、卒業検定試験を数週間前に終えたばかりの、しかも優等生というよりはむしろ劣等生であったガウディにであった。驚いたことに1878年2月9日建議は通過してしまい、同2月27日にはガウディに通知が渡され、すんなりと設計依頼は決定してしまいこの劣等生は一躍優等生扱いされるのであった。

現在のレイアル広場
2011年9月3日撮影