建築家初年1878年

ガウディの最初の仕事から、ビセンス邸の建設まで、街灯計画を筆頭に、彼は相次いで公共、あるいは社会的な性格をもった仕事をしている。それはあるいは、彼の人生の目標で「金持ちになり、仕事を愛すること」の達成に最も近道であったはずの種類の仕事であったろうし、ローマン的社会主義風潮の反映でもあったろうし、建築家の社会的な責任を感じてのことであろう。現在でもそうなのだが、スペインでの建築家の社会的な地位の高さは日本どころではないが、当時は今以上高かったことだろう。そしてまた、この時期というのは学生時代を上回るほどの仕事量をこなしている。卒業した年、つまり1878年だけで次のような仕事をしている。レイアル広場の街灯、自分用の事務机、コミージャス宮のチャペルのひざ椅子および椅子、長椅子、コメージャのキオスク計画、マヌエル・ビセンス邸の設計、マタロの工場および労働者住宅、集会場計画、まったく堰を切ったような仕事ぶりである。

青年時代のガウディ


レイアル広場の街灯 当時は街灯もモノクロームに塗られていました
1972年3月撮影

街灯計画は8月25日分にもあります
http://d.hatena.ne.jp/Arquitecto+AntoniGaudi/20110825/1314382647