コメージャのためのキオスク計画 (1878年)

手袋商コメージャの依頼で発明家エンリケ・ジロッシ・デ・サンクティスEnrique Girossi de Sancutisは市役所に1878年5月14日付けのガウディとジロッシ両名のサインの入った25分の1のプランとエレベーションの描かれた62x43cmの図面入りの営業許可の申請をしている。この申請というのは町のいくつかの場所に20のキオスクを設置したいので、提供するが土地の使用料を50年間ただにせよ、建設、設置にかかる費用はそこで発生する広告料と花屋を併設することで賄うからという申請であった。建設コストは一基について8500ペセタであるというものであった。
キオスクは幅4メートル、奥行き2.4メートル、高さ4メートルという規模で、正面は花屋、裏側には大使用2個の小便器、女子用のブースからなり、これが3スパンでおさめられている。さらに時計、カレンダーが付いている。鋳鉄の構造にガラスと大理石が使われるというものだった。
この申請の許可は1879年6月14日に50年ではなく30年の借用という条件付きの回答が出された。しかしこの間別会社が同じような申請をしたため、ジロッシは7月1日付けの文書で市役所に対して、対抗馬と利益を半々に分けるからという条件の回答を出している。市役所は契約書を公証人を交えて7月27日にサインし合っている。その後設置の具体的な場所を提示せよという通告をだすが、ジロッシは中々具体的な提示をしないまま、1880年12月17日に破産宣告をしてこのプロジェクトは実現しないまま終わってしまった。

オリジナルドローイング
これは1970年代に市役所のアーカイブから発見されたもので、Ràfolsもこのプロジェクトのことは記録しているものの具体的な内容は分からなかった。







以上 Jan Molema著 Gaudí in Den Haag 19988年より