1891年着工のご誕生の門


サグラダ・ファミリア・アプス
1972年2月5日撮影

アプス周辺の建設を進めていたガウディは1891年、御誕生の門建設に着手する。周囲の人たちは市心と反対側に当たる御誕生の門建設より、市心に向いた御死去の門の建設から始めるべきだと主張した。なぜなら贖罪の教会である以上、市心に近い、よりよく見えるところから始めることで市民にアピールしできるのではないかということからである。
しかしガウディは御誕生の門から建設を始めている。その理由は定かではないが、彼には若さという自信があったのかもしれない。彼はまだ40を超えていない。
御誕生の門は基部方形の2基ずつペアになった4基の塔からなり、中央の入口は両端よりも幅が広く取られていてイエスの系譜樹で2分された仁愛の入口、その右は信の入口、その左が望の入口となっている。この門にはキリストの誕生に関係する説話が彫刻となって、あるいは構造体自体となって説かれている。かつてすべての宗教行為がラテン語の介入で行なわれていたとき、ラテン語を知らない人たちの説話解説には、もっぱらヴィジュアルな手段が取られていた。それゆえにロマネスク期には多分な壁の量を利用してフレスコ画が、また、ゴシック期には窓量を利用してステンドグラスが発達した。アーバニズム的思考をこれに持っていたガウディは都市サイン化している。中央のマリアに捧げた塔は174メートルあり、セルダの都市計画の画一的なバルセロナのスケールをここで破り、都市景観に明解なアクセントを付けている。そして構造を彫刻化したのだろうか、主の誕生を告げる4人の天使はトランペットを高らかに吹き鳴らしている。


サグラダ・ファミリアご誕生の門
1977年撮影


1972年6月18日撮影