Donato d´Angelo Bramante (1444-1514年)ラファエッロは後継者となった時、堂内部をブラマンテの案を踏襲して設計をしたといわれる。

Raffaello Sanzio (1483-1520)

Baldassarre Peruzzi (1481-1536)没年まで建設に参加。
Antonio Sangallo il Giovane (1483-1546)ペルッツイの後を受けて既存の基礎や円柱の補強工事をする。

Michelandelo Buonarroti (1475-1564)72歳で工事を引き受け、前任者のサンガッロ案を退けブラマンテ案に近づけよとし、規模も5分の3ほどに縮小した。1557年に有名な事故があった。

Giacomo della Porta (1540頃〜1602年) 1587年から93年までこれに働く。ミケランジェロは1558年から61年にドームの5分の1の木製模型を作り、フォンターナとともに1587年起工させた。

Domenico Fontana (1543〜1607年) ドーム建設の他、シクストゥス五世の信任の建築家でローマの都市計画を製作したりしていたが、法王の死にナポリ王国に亡命している。

Carlo Maderno (1556〜1629年)デッラ・ポルタの死後工事を受け継ぎ、ミケランジェロの提案していたギリシャ十字プランに変更を加え、ラテン十字としている。更に正面ファサードも間口を広げた。

奉納式は1626年11月18日ウルバーノ八世のもとに行われた。これは最初のバシリカからそれば1300年かかったことになる。

Giovanni Lorenzo Bernini (1598-1680年) 各時代にそれぞれの建築家が手を加えたものを調和させようとした。コロネードは間口が広すぎるマデルノの正面ファサードの印象を弱くして、ドームを強調させる目的で生まれた。