時代は変わっていた

しかし、このガウディが迎えた黄金期における彼が成し得た個性に対して、ヨーロッパやアメリカでは新たな傾向が、しかも後の支配的な傾向というものが推進されていた。 ワーグナーのウィーン郵便貯金銀行(一九〇四〜〇六年)はカサ・バトリョと時を同じくしていたし、ペレのポンテュ街の車庫完成はやはり一九〇六年である。 そしてライトはラーキン・ビルに次いでオ-ク・パークにユニティ救会を、また翌年のヨーロッパでは「ドイツ工作連盟」設立と続いている。
これらは大陸内でのバルセロナという地理的条件や、スペインの混沌とした政治体制による弧立以上にこのカサ・ミラやその他のガウディの魅力的な作品への評価を遅らせてしまったのはすでに触れたとおりである。
だが、現時点からみれば、ラ・ペドレラやガウディの作品はもっと我々に魅力的に甦ってくるのではないだろうか。 かのコルビュジエですら、一九五七年に寄せた、ホアキン・ゴミスの写真集「ガウディ」 のプロローグで、ガウディの建築を指しながら、「建築とは個性のたまものである。 まさしくそれだ。 ひとつの個性の表現なのだ。」と書いているが、彼自分もその年にトゥーレットの修道院を完成させており、その少し前にはあのロンシャンの礼拝堂を設計し、直線の美・枝術至上主義への便宜法をなかなぐり捨てているではないかということは第二章でも触れた。 ガウディヘの関心は、現在の建築の状況を知るにも決して無駄ではない。 ラ・ペドレラを再検討してみようではないか。