ガウディが通った学校 Escoles Pies/Institut Salvador Vilaseca

所在地:Carrer de Misericòrdia 12 Bis, Reus
1863年

19世紀の中頃のレウスというとバルセロナに次ぐカタルーニャ第2の都市で人口は2万人。綿工業で町は賑わい、就業労働者600百人を超える工場があり、8000人が大小の綿工場で働いていた。蒸気機関は早くも1843年に導入されレウス銀行さえ町にはあった。労働者階級が増えると同時に労働争議が増えるのが常だが、レウスの代表的な綿工場Fabril Cotoneraの工場主は進歩派ですらあった。
こういった社会状況のレウスに生まれたガウディだったが、病弱だったガウディは1863年にはフランセスク・ベレンゲール(同名の建築家はその子でガウディの弟子になる)の小学校を出て、同じレウスにある中学校へ入学する。現在は地元の文化人サルバドー・ビラセカの名をとり、公立学校となっているが、当時はエピスコラピオスの経営する無料の学校だった。ちなみにフランセスク・ベレンゲールの学校は有料の私立学校であった。
エスコラピオスはホセ・デ・カラサンス(San José de Calasanz, 1557〜1648年)によって1597年に全ての貧しい子息にも教育をという目的で創設された学校で、無料の公共教育施設としてはヨーロッパで最初に開設されたとされている。
1863年、11歳になったガウディはこのエスコラピオスの中学校へ入っている。1859〜1861年のレウスでは公立、私立学校合わせて920人の生徒がいたが、これは就学人口の14.7%で当たるわけで、ガウディは貧しい家庭に生まれたといえ両親の理解があったからこそでラッキーであったという他ない。