ディオニス・バイシェーラス・イ・ベルダゲ

Dionís Baixeras i Verdaguer (Barcelona, 1862 年生まれ Barcelona, 1943年没)
画家。ガウディは生涯社交的な事は苦手で、団体に所属することすら嫌った。例外もあって若い頃はマタロの協同組合の発案者であった人物に誘われてカタルーニャ科学遊覧協会、あるいはサン・リュック美術サークル(Cercle Artístic de Sant Lluc)、後年になってはレウスの読書クラブに入っている。科学遊覧協会では建築の専門家であることから役員にまで推挙されているが、ここでクライアントも捕まえたが、多くの友人をも得た。
この一人バイシェーラスは学生時代から数々のコンペに入選し、時代を担う新人画家であった。わずか20歳で当時の登竜門であったサラ・パレスで個展を開いている。その後はパリへというまさに出世コースを進んでしる。パリではリアリズムの大家ジャン・フランソワ・ミレーに学んでいる。
帰国後の1907年には当時進められていた都市改造計画の一つである、旧市街に隣接するラエターナ道り(Via Laietana)を新設するという大工事で失われてしまう、旧市街の一部を描いた一連のドキュメンタリーなデッサンを描き、市役所から賞を得ている。1926年にはサン・ジョルディ美術アカデミー会員となり、州政府庁舎のサン・ジョルディの間の天井画も描いているが、カタルーニャ主義者の旗を掲げスペイン戦争の終末に失意のうちに世を去り、今も忘れられている。

ラモン・カサスによるバイシェーラスの肖像