ジョアン・バウティスタ・グラウ・イ・バルベスピノス

Joan Baptista Grau i Vallespinós (1832〜93年)
宗教人。

ガウディより2世代違うとはいえレウス生まれのグラウは、バルセロナの神学校に馬学び、バレンシアで神学の博士号を取る(1857年)。さらにマドリッドで法学、哲学、文学を修める(1859年)。その後は教会内でのポジションを高め、1886年6月10日にはアストルガの司教に就いている。アストルガでは様々な教会の内部改革を実現させているが、旅先で病死している。 この間典礼式、神学校の改革などをしてのだが、カタルーニャの進歩的な宗教人 Jacint VerdaguerやJosep Torras i Bagesなどとの交流も重ねていた。

1886年タラゴナの司教座にいた時にタラゴナ考古学協会の理事に任命され、その時にカタルーニャ科学遊覧協会と接近している。この時がガウディとを直接結びつける接点だったのだろう。
アストルガ就任の1886年12月23日司教館が火災にあった時に、この再建の設計者として直ぐさま頭に浮かんだのがやはり革新的な仕事をしていた、しかも同郷のガウディであった。

左手が司教館 右手がアストルガのカテドラル