ジョアン・ナルシソ・イ・ポルタ

Joan Narciso i Porta (1911〜2006年)
ジョアン・ナルシソ・イ・ポルタはサグラダ・ファミリアに隣接した、バレンシア通りとセルダーニャ通りの交差点辺りで生まれた。そのせいで学校はガウディが建設資金の足しにと寄付した学校で勉強し、しかも教区教会であった地下聖堂で祭壇周りの手伝いをしていた。
そんな関係でミサに来ていたガウディをよく見ていた、階段にあった募金箱に小銭を入れ、ミサに来ていた顔見知りや、同席した人たちにも寄付を盛んに進めていた。
子供たちの遊びといえば広場になっていた空き地でサッカーをするのが日常であったが、1時の昼休みにガウディが現場から出てくると、失礼のないようにサッカーを止めて、通り過ぎるまで見送ったものだった。
8歳の頃のジョアンはカールの付いたふさふさの髪の毛をしていたが、これに目をとめたガウディはある日ジョアンの頭に手をおいて
彫刻のモデルにならないかと聞いてきた。
さっぱり何の事か分からず、僕がモデルにですか?と聞き返した。
ガウディは繰り返して、パレス神父が説明するよと言った。
木曜の午後は授業がなかったからマジョルカ通りとシシリア通りの交差点にあったマタマラの工房へ通った。壇の上にあるイスに座らされ、飴をもらったが動かずにと何度も注意された、結構大変な仕事で周りにあった作りかけの色々な動物の模型を見て気を紛らわせた。
ジョアンがモデルになったのはイエスの御誕生を見守る天使で、8人の天使とジョアンという設定でジョアンのなった天使が生まれたばかりの天使をまず第一に触りたく、足を延ばしている・・・というのがガウディの解釈であった。