プジュール・イ・バウシス

セラミック製造業者
Fábrica Pujol i Bausis (1858 - ca. 1960)
この工場はマウリス、ゴウルデという二人の実業家によって1858年に創設されたが、当初はレンガを作るためであった。しかしまもなく共同経営者間の紛争により1861年に閉鎖されてしまう。その後再建の年代は定かにされていないが1870年から75年の間に工場は再操業を始めたらしく、プジョール家のジャウマがイニシアティブをとっていたらしく、その後の1876年には工場の権利を買取り、1892年の没年まで経営していた。その子パウは事業を受け継ぎモデルニスモ期の好景気とも重なり、この工場の最盛期を迎えた。この時代は゛ジャウマ・プジュール・イ・バウシスの子゛Hijo de Jaume Pujol y Bausisの工場として知られた。この最盛期にはレンガではなく、化粧タイルを製造していたが現在までもこの時代に製造されたカタログが残されているが、その下絵を書いたなかには時代の代表的な建築家ドメネク・イ・モンタネル、アントニ・ガジサ、プーチ・イ・カダファルクなどがいた。
ガウディはこの中にはいないがパラウ・グエイでも大量にこのメーカーのセラミックを使っているし、グエイ公園のベンチではここで不良品を買ってこれを割って貼り付けている。

現在町に保存されているプジョール・イ・バウシスの工場