フランセスク・デ・パウラ・キンタナ・イ・ビダル

Francesc de Paula Quintana i Vidal
(1892〜1966年)
建築家。
1918年バルセロナ建築学校を卒業して建築家のタイトルを得る。学生の頃からガウディに傾倒してサグラダ・ファミリアに通った。ガウディ没後の1927年にサラ・パレスという画廊でオマージュの展覧会が開かれたがこれを企画制作したのはキンタナだった。
ポスト・ ガウディのサグラダ・ファミリアドメネク・イ・スグラーニェス*が工事の責任者となるが、それを1944年に受け継いで建設続行を没年までした。(1944〜1966年)。彼はスペイン戦争で壊された石膏の模型を修復して、ガウディの構想を復元することに尽力し、この作業のなかからプーチ・イ・ボアダ*、リュイス・ボネット・イ・ガリとともに御光栄の門の実施設計を作り、着工までに至る尽力をした。
自分自身では時代のノウセンティスモ・スタイルの住宅を幾つか残している。そのうちではコルセガ通り200番地の家(Córcega, 200)、ムンタネール通り153番地の家(Muntaner, 153)、メネンデス・イ・ペラヨ通り10番地の家などを残した。

コルセガ200番地の家

ムンタネール153番地の家