セビージャのカテドラル プラン

カテドラルはオレンジのパティオを踏襲しているというか、規模はオレンジのパティオによって決まってしまったというのがこのプランでわかる。参事会では地震の被害によって、新たなカテドラルの建設を決めた時、後世の人たちが気狂い扱いするような馬鹿でかい教会の建設を決めたということだが、実際にはこれもモスクのプランを踏襲しているから非常にだだっ広い、とてもゴシックの教会堂からは飛び離れた垂直性どころか、水平に広がったプランとなってしまった。5身廊形式というのはいかにも大きいが、高さがない、垂直性がない。
しかも、現在見られる中央身廊の高さは1511年12月28日の地震の被害を受けてから更に現設計よりも低くしていいる。
南側にはこの身廊と平行に参事会室などカテドラルが運営されるに必要な機能が付け加えられ、現在の見学のアクセスが取られているカテドラルの南門が奥まったところにあるようになってしまった。
さらにの後王室チャペルがアプス側に建設されるが、これは隣接の王家のセビリアでの居館であるアルカサールに隣接しているからで、これにも2つの門が取られ礼拝のアルカサールからのアクセスとなっている。この部分もやはり、オレンジのパティオのフット・プリントからはみ出している。
西側のファサードはネオ・クラシックの時代に建設された一番新しいファサードであり、これはオレンジのパティオのアーケード部分に大きく手を入れられている。この西側はこの時代まで隣接した建物が建てられていたために一番遅くまで完成しなかった部分だが、この部分に新たな教会サグラリオの教会が1618年着工している。
身廊を西側の主門から見る

南門

アプス側にある王室専用の入口

西側のファサード


サグラリオの教会