バルセロナのガウディ建築案内番外編⑩

トラスアトランティカ社のパビリオン El pabellón de la compañía Trasatlántica
1891年の夏か秋にガウディはアンダルシア、そしてモロッコのタンジールへと旅行をしている事がガウディが残した経費請求書から分かっている。それより以前に、ガウディが現場へ行ったという記録はないのだが、カディスに小さな作品を残している。トラスアトランティカ社の万博用パビリオンがそれである。
グエルの義父アントニオ・ロペスはこの海運会社を1850年キューバで起こし、スペイン帰国の1861年にはカディスからキューバサント・ドミンゴプエルト・リコとを結ぶ航路を独占していた。サント・ドミンゴへの兵の輸送あるいはキューバとの10年戦争(1868〜78年)に事業拡大し、カディスの他サンタンデールからの海路も開いた。1881年には株式会社トラスアトランティカ社と改名され、1883年のロペスの死に息子のクラウディオ・ロペスが事業を受け継ぎ、更に海路を拡張し、ブエノス・アイレス、ニュー・ヨークなどとも結んだが、1891年には一部の海路を閉鎖しているがその後も会社は存続し現在に至っている。
また、この時代のカディスでは造船業を起業しようという雰囲気があり、このために資本が集められ、国際海運博(Exposición Marítima Internacional)が1887年開かれている。このための企業館をガウディはクラウディオ・ロペスから計依頼された。
その翌年、1888年にはバルセロナで万博が開かれたわけだが、この時に前年カディスに出したパビリオンをクラウディオ・ロペスはそのまま出店した。しかし記録さえ乏しい作品となってしまった。写真さえ残っていないのだが間違いなくこのパピリオンがガウディの手になって出展されたという根拠は、ガウディの博覧会の入場パスが残っていてこれが出展者用のパスであるからだ。
所在地:Hopsital del Mar辺り