バルセロナのガウディ建築案内番外編(23)

ガウディのコンセイ・デ・セントの家 Vivienda Gaudí 
1876年の9月8日、兄に次いでガウディの母親も他界してしまう。独り身になった父親(65歳)は仕事場をたたんで、息子の居るバルセロナに移住することを決める。このためにガウディは更に引越しをしている。場所は新市街地ではあるものの実質的にはいまだ郊外であった。しかし旧市街にあった家よりは大きかったのだろうが、今と違って家は最上階にあり、エレベーターはもちろんないから安かった。ガウディと家族は1876年から89年までの13年間をここで過ごしている。この間ガウディは建築家のタイトルを得て、事務所さえ旧市街に借りてプロとしての道を開いていった。建築らしい仕事もこなし、何よりもパトロンすら現れた時期であった。しかしこの家で、アクシデントが起きている。ガウディは兄弟を亡くし、自身も幼少の頃は病弱だったために健康管理や食事には十分気を付けていた。ところが何を思ったのか1894年の3月四旬節の後の40日間の断食を敢行している。しかし、友人の医者であるサンタロに生命に危害を与えると忠告され、二週間ほどで断食は中断した。しかし回復には5日ほどかかったという。この断食の失恋が原因だったのかははっきり分かっていないが、この前後から旧市街にあるサン・フェリペ・ネリ教会へ毎晩ミサに通うようになり、宗教への接近時期でもある。
現在近くにはその当時を偲ぶようなモデルニスモ・スタイルのパン屋が2軒あり、そのうちの一軒はまだ営業している。このうちのどちらかでガウディも日々のパンを買っていたのかもしれない。
所在地:Carrer Consei de Cent, 370番地
アクセス:地下鉄L4Girona下車1分


コンセイ・デ・セントのガウディの家があった玄関


現在の階段室にはエレベーターがある

一階にあるパン屋


トイ面にもうひとつパン屋があったが建物が壊され、このパン屋のファサードだけが保存されている。