バルセロナのガウディ建築案内(35)

ダミアン・マテウの別荘 Torre Miranda
1906年
スペインには自動車史に残る名車を生み出したイスパノ・スイソ社(La Hispano-Suiza, Fábrica de Automóviles, S. A.)というのがあった。無論グエルもこの車を愛用していたが、時の王アルフォンソ13世は自動車好きだったために、広くヨーロッパでも普及、愛された。この会社は高級車を生産するというだけではなく技術革新でレース・カーも製造し、果ては航空機生産までに発展している。その末高級車の需要の多いフランスに工場を移している。
ラ・イスパノ・スイサ社は実業家ダミアン・マテウ(Damián Mateu, 1864-1935年)が1904年に負債を背負って倒産していた前身の会社を買い取ってまでも、彼が自動車への将来性を信じたからこそ、成功したのだった。しかし、スペイン=スイスという会社の名前の由来はスイス生まれの優秀なエンジニア、マルク・バーキット(Marc Birkigt,1878-1953年)がその倒産した会社にいたからで、マテウの彼への期待が明らかにその背景にあったのは言うまでもない。このエンジニアの画期的な開発の中には4気筒エンジンや4段変速のギアの開発などがあり、むろん自動車発展史でもその名を残している。最初に開発されたエンジンは10馬力であったが、翌年には4気筒エンジンを開発し20馬力の力をもち時速87Kmを記録している。更に翌年は時速100Kmを出すエンジンを販売するというように改良に改良を重ねている。
ほぼ同じ頃アメリカではフォードは1903年2度目の失敗の後、現在の企業のベースを作っていているが、フォードは全く別な道を歩いたわけだから比較にはならないとはいえ、あの大衆車T型フォードは1908年製造開始され、4気筒で20馬力、最高速度は時速71Kmだった。
このイスパノ・スイソの事業主ダミアン・マテウのための家「ラ・ミランダ(La Miranda)」をガウディは彼の生まれ故郷、ジナーレス・デ・バジェス(Llinars del Vallèsバルセロナから43Kmの内陸 )に設計している。この別荘はガウディには珍しく著スピードで翌年完成するが、1962年に不動産投機の対象にあいあさりと壊されてしまう。現在地元では再建計画が持ち上がっているが、オリジナルはわずか門扉の鉄細工がグエル公園のガウディ記念館の庭に保存、展示されている。作品に関するドキュメントがほぼ皆無であり、このことからも長年弟子ベレンゲールの作だとされてきたが、近年ではガウディ作とされている。このプロジェクトも憶測できるうることは同じ実業家で、愛車としていたグエルのコネクションからの依頼だったのだろう。
現在の街の様子


復元想像図

グエル公園ガウディ記念館庭に保存されているマテウ邸の正面入り口脇入り口の鉄細工

門扉に被されていた網状の鉄細工はボデーガ・デ・ガラーフのものと似ている