バルセロナのガウディ建築案内番外編(46)

ロレートのバシリカ basilica della Santa Casa
piazza della Madonna, Ancona

アドリア海に面したアンコーナにあるロレートの聖堂は、13世紀のサラセン人の聖地侵攻を前に奇跡が起こされ、ナザレで聖母マリアとその家族が暮らしていた家(サンタ・カーザ、聖なる家。この家で、聖母マリアは受胎告知を受けた)がダルマチアへ移されたのだという。この時、家の中に入った村人が、王冠を被った聖母マリアと幼子イエス・キリストの彫像を発見した。その後、天使たちが再びイタリアへ家を運んだとされる。聖所としての歴史は1294年12月10日、家がロレートに運ばれたことに始まる、とWikipediaにある。
1874年にサグラダ・ファミリアの発起人ボカベージャがローマ訪問した帰路、回り道をしてこの聖堂に立ち寄っている。ロレートはこの伝承にしたがい聖地のひとつとなり、サンガッロ、ブラマンテ、サンソヴィーノら当時の代表的な建築家の参画に1468年着工し1587年に完成している。ファサードはブラマンテの原案を没後半世紀以上もたった1571年に着工されている。肝心の“聖なる家”は交差廊の真ん中に据えられ、1509年のプロジェクトはやはりブラマンテの手になり、その後1513年から27年にはアントニオ・ダ・サンガッロらによって手が加えられている。ボカベージャがロレートを訪れこれに啓発されサグラダ・ファミリアに捧げた教会の建設を思いついたのは、この“聖なる家”によるのか、あるいはモンセラの黒い肌の聖母にも似た黒い肌の“ロレートの聖母”に啓発されたのかは定かではない。
しかも、最初のビジャールによって作られた案は“聖なる家”、聖家族あるいは黒い聖母像とも直接関係のないデザインであった。1915年7月2日にサグラダ・ファミリア教会の建設続行危機を乗り越える宣伝行為の一環としてヴァチカンの使者レゴネーシ(Ragonesi)が「サグラダ・ファミリア」を公式訪問しているが、ガウディはこの時建設の発起人であるボカベージャの最初の案であるロレートのコピーを建設しているとレゴネーシに説明している。

1539年の“聖なる家”の版画
ビジャールのサグラダ・ファミリア原案

バルセロナのガウディ建築案内 (コロナ・ブックス)

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ガウデイの生涯

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