バルセロナのガウディ建築案内番外編(49)

グラノジエールスのサン・エステベ教会

鐘塔が残ったサン・エステベの教会の現在の様子

スペイン戦争時1936年7月20日空襲にあった教会内陣

1879年11月25日ガウディはバルセロナから鉄道で30分ほどにあるグラノジェールスに「カタルーニャ主義科学遊覧協会」の一部のメンバーと遠出している。目的は町にある一番大きなサン・エステベ教区教会(Sant Esteve, Granollers)が修復工事をしている最中で、修復担当者に「カタルーニャ主義科学遊覧協会」として意見を述べるのが目的だった。この教会は1480年から16世紀にかけてゴシック様式で建設された、その後ルネッサンスバロック期に改装増築されている。しかし、この教会はスペイン戦争で空襲にあい、身廊部分は大破し、鐘塔だけがかろうじて残されている。現在見られる教会は1940年以降の修復されたもので身廊の柱はじめ主な部分はRC造の教会となっている。ガウディがどう係わったかは定かではないが、遠出のメンバーの中の唯一の建築家はガウディであった。祭壇のパネル4枚は幸いにも美術的な高い評価に1917年に教会から移転されていて、現在ではカタルーニャ国立美術館(MNAC)のコレクションとして保存展示されている。


教会から持ち出されていたので戦火を逃れ現在まで残されている祭壇画

現在の教会の内部には記憶として空爆以前のペーヴメントが一部残されて、壁に掛けられている。一部黒くなっている部分は空襲の生々しい痕だろうか。このデザインはベージュ色の自然石をベースとして、格子状に緑の自然石を並べ、1m各に床が切られていたのだろうか。そして、一部にはやり同寸法のタイルがはめ込まれている。タイルは緑と白を使ったデザインものだ。これはセメント・タイルといわれるもので、19世紀中頃に南フランスで生まれ、モデルニスモ時期以前からインテリアの床としてカタル−ニャでは競って建築家は使った床材である。セメント・タイルは様々な模様がでるような仕切りのある型があり、これに複数の着色したセメントを流し込み、裏には接着性能を上げるためのザラットしたモルタルで嵩上げする、更にこれをプレス機にかけてセメントの中に残る空気を追い出し、24時間は水中で養生し、その後は3週間日陰で干すという、非燃焼型のタイルだ。
ここで使われているセメント・タイルは無論ガウディがカサ・バトリョのためにデザインしたような高度なテクニックも使われていないが、ガウディのもではないという証拠もない。

一部残された内陣のペーヴメント

修復されたサン・エステバンの教会

所在地:Plaça de l´Esglesia, 1, Granollers, Barcelona

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バルセロナのガウディ建築案内 (コロナ・ブックス)

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