2012-05-01から1ヶ月間の記事一覧

サンティアゴの巡礼地 Vol. 7

10/サント・ドミンゴ・デ・シロス/Santo Domingo de Silos/10世紀創建、11世紀に聖ドミンゴによって再興される。22 X 24 メー トルというロマネスク時代のものとしては巨大な2層の回廊があり、ここの柱頭飾は特色がある。動物植物のモチーフはイスラム圏の彫…

チャフラン 2 

左側のコーナー部に若干境界線が入り込んでいて、どうしてこういう細長い建物が出来たか・・・ これはちょうどコーナー部分で敷地境界線が分かれているため、一方はその後の建て替えで現代建築が出来てしまった こちらはボイーガス率いるMBM事務所のチャ…

サンティアゴの巡礼地 Vol. 6

8/サミジヤン・デ・コゴージャ/San Millan de Cogolla/10世紀にはモサラベ様式のSusoの修道院が1053年にはYusoの修道院が聖Evailiano所以の地に創設された。ユーソ修道院は16〜18世紀に大改築があり、正面入口も17世紀のバロック様式、内外の建築家が多数参…

チャフラン

セルダのブロックから欠き取られてできたチャフラン

サンティアゴの巡礼地 Vol. 5

5/エステージャ/Estella/北部のトレードと言われるほどモニュメントの多い街。11世紀サンチョ・ラミーレス王時代にナバラ人、フランコ人、ユダヤ人による混成文化が栄えサンチヤゴ巡礼道の一大地点として重要性を増していった。主なモ-ュメントにはSan Pedro…

エイシャンプレのコーナー部 チャフラン

大きな特徴であるコーナー部分はChaflán(チャフラン)として親しまれている このチャフランは自動車には非常に都合のよいサイズでブロックの角を落としているし

サンティアゴの巡礼地 Vol. 4

3/エウナーテ/Eunate用途不明のSanta Maria教会がある。八角形平面の礼拝堂を囲むように回廊が取り囲むというおもしろいプラン。巡礼者の埋葬用の礼拝堂だという説もあるし、テンプル派修道会の礼拝堂という説もある。平原に建ちはだかる八角形のマッスと下…

サンティアゴの巡礼地 Vol. 3

1/ ロンチェスバージェス/Ronchesvalles/ 「ローランの歌」でよく知られている。ブルターニュ侯ローランが778年にイスラム教徒と戦った舞台となった。巡礼者はここで3日の問、火とベッドが供給された。Colegiataは1130年創建。1219年フランス風に再建奉納さ…

ガウディとガウディたち Vol. 14

モデルニスモの反旗 セルダ案の的確なフォンセレによる判断は、実は1768年以降リクラ侯によって塁壁都市バルセロナで試まれたファサードの平面性を取り戻し、街路にあふれた混乱を整備しょうという勧告条例に象徴される工業時代特有のメンタリティーであった…

ガウディとガウディたち Vol. 13

シウタデーリャのフォンセレ 1869年エイシャンプレ計画が進行していた時、カタル ―二ア人たちにとっては中央政府の圧力の象徴であったシウタデーリャの要塞が取り壊せるという認可が舞い込んでくる。市民にとっては念願のこの取り壊しに、市は翌年公園として…

サンティアゴの巡礼道 Vol.2

巡礼の四道 当時の巡礼は困難を極めた。道路事情は悪く、 ローマ時代に開発された街道しかなく、むろんこれも荒廃していた。 ローマ人たちの半島征服用の軍事道は、もともと住民の多い都市間を結ぶという性格のものではなかったから、力ンタブリア海の内陸な…

ガウディとガウディたち Vol. 12

セルダが運営していた「バルセロナ拡張奨励協会」はみずからもエイシャンプレの土地所有者となって住宅建設をしていたが、そのうちセルダ自身が設計したと考えられる建物がある(この建物は採光がすべての室に行き届くという配慮から奥行きが10m、角地にC…

サンティアゴの巡礼道 Vol.1

最果ての地での発見 スペイン名サンチャゴ、聖ヤコブの聖体がキリスト教世界の最西端ガリシァに流れ着いたのだという伝説が6世紀頃から伝わっている。エルサレムで紀元1世紀の中頃に没したこの聖者の聖遺物は,その弟子たちによって大洋へ流し出されてこのガ…

ガウディとガウディたち Vol. 11

セルダ案とその建築のタイポロジー 現在のエイシャンプレ地区はセルダ案の計算から割り出した理詰めの都市空間を容積から4.4倍を超えてしまうのだが、このエイシャンプレに建てられた建築にも四つのエポックがみられる。 第一期は二〜三層の独立個人住宅、あ…

モサラベの建築風景 Vol. 11

ボバストロBobastro マラガ近郊/ 917年以前/力リフ王国内のキリスト教徒は礼拝が許され、しかも教会堂の新設こそ許されなかったものの、既存の堂を保持していくことはできた。そういった事情からアル・アンダルース(現在のアンダルシア地名の呼称のもととな…

ガウディとガウディたち Vol. 10

セルダ案の前衛性 セルダの「都市改造と拡張の計画」、いわゆる「セルダ案」はグラシア市をはじめとする周辺小都市を厳格な格子状にバルセロナ市と結んだダリッド都市計画である。このグリッドは海岸線と平行に切られて、二本の対角線がそのグリッドの上にオ…

モサラベの建築風景 Vol. 10

サン・ミゲル・デ・セラノー バSan Miguel de Serranova オレンセ近郊/ 940年頃開始/17世紀起源のバロック様式の回廊を持つサン・サルバドール修道院の片隅にあるこの堂は、8.50X3.85、郄さ6mほどという極端に小さい建物でありながら茶室のような一つの宇宙…

ガウディとガウディたち Vol. 9

市のガリーガ案 いわゆるセルダ案が成立する以前に、市の建築監督官ガリーガ・イ・ロカ(1804〜188年)によるアイシャンプレ計画が発表されている。これは市が予備計画としてガリーガに委託したもので、計画の1857年の翌年4月6日に諮問委員会を通過している…

モサラベの建築風景 Vol. 9

サンティアコ・デ・ぺニャルバSantiago de la Peñalba Ponferrada近郊/10世紀/プラン上、最も奇形なのがこの堂で一辺5 mX 5mの6つのこまが組み合わされて構成されている。ここにも対置アプスが軸の両端に置かれ、正面アプスのアーチ上に3辺を区切った線が…

ガウディとガウディたち Vol. 8

バルセロナ市域拡張 エイシャンプレ案拡張計画が作られる前のバルセロナ 右手にはシウタデリャの要塞が見える セルダの起こした測量図、上部は旧グラシア市 セルダによる拡張計画 現在のエイシャンプレはこの案のグリッド ガリーガによる計画案 ロビーラによ…

モサラベ建築風景 Vol. 8

サン卜・トマス・デ・ラス・オージャスSanto Tomás de las Ollas El Bierzo /年代不詳/礼拝堂だけがモサラベ時代のまま残っている。楕円形プランのその礼拝堂は馬蹄型のめくらアーチが9つ並び、その上部のコーニス部分では直線の連続で構成され、稜線がアー…

ガウディとガウディたち Vol. 7

セルダ・エンジニアの発想する都市 中央政府は1854年の末、具体的な拡張計画を進めていくにあたって、イルデフォンソ・セルダに市の周辺の地形測量図作成を依頼している。セルダはその翌年11月、5000分の1の実測図を完成させているが、これに「統計情報」を…

モサラベ建築風景 Vol. 7

サンタ・マリア・デ・レべ ー二ャ Santa María de Lebeña サンタンデール近郊/ 924年頃/リエバナ候アルフォンソとその妻フスタによってリエバナ渓谷に建てられたこの教会堂は、カリフの国の建物のように立方形の連置で構成されているためにキリスト教会堂の…

ガウディとガウディたち Vol. 6

セルダ・エンジニアの発想する都市 中央政府は1854年の末、具体的な拡張計画を進めていくにあたって、イルデフォンソ・セルダに市の周辺の地形測量図作成を依頼している。セルダはその翌年11月、5000分の1の実測図を完成させているが、これに「統計情報」を…

モサラベ建築風景 Vol. 6

サン・ミゲル・デ・エスカラーダ San Miguel de Escalada レオン近郊/ 913年/コルドバからこの地に流れついたアルフォンソ神父はこの地に教会堂を奉納する。この堂は3身廊プランで、馬蹄型マーチのついた馬蹄型プランのアプスが3つつく。ヴォールトは交叉ヴ…

ガウディとガウディたち Vol. 5

中世型都市バルセロナの終末 ところで、シウタデーリャはついに要塞としては機能するにいたらず、牢獄として使われたにすぎないのだが、その政治色の濃い存在は市民から嫌悪され続け、1841年には軍団指令官の居ないことに、市がこの要塞の取り壊しを始めたと…

モザラベの建築風景 Vol. 5

サン・セブリアン・デ・マソーテ San Sebrián de Mazote Valladolid近郊/ 920年/モサラベ建築のもう一つの特色である対置されたアプスがここで見られる。アプスを身廊の両端へ置くというのは、東面にあるアプスから神ならぬ僧侶の声が聞こえるという矛盾を解…