2012-07-01から1ヶ月間の記事一覧

ライナード・フォノル/ライナルドゥス・フォノイル

Rainard Fonoll/Rainardus Fonoyll イギリス出身の長及び石碑作家。14世紀の後半スペイン・カタルーニャで活躍。モンブランクのサンタ・マリア教会(Santa Maria, Montblanc, タラゴナ県)、ポブレット修道院(Poblet, タラゴナ県)などが彼の作とされるが…

二次元と三次元

それともうひとつにはガウディにとって図面化とは建築をつくるなかでの計画から竣工までのひとつの手段ではあったが唯一の手段ではなかったのである。 彼は図面によって建てられたものを擬似図面(プラノイデ)と呼んでいる。 つまり二次元である図面から三次元…

マヌエル・フォルネス・イ・ゲレア

Manuel Fornés i Gurrea 生:バレンシア 没:バレンシア/1856年 スペインの建。サン・フェルナンド美術アカデミーで建築を学ぶ。バレンシアのサン・カルロスのアカデミーのメンバーとなり1836年以降建築のディレクターとなる。シージャ(Silla)、ベニサノ(Ben…

作風の飛躍

処女作であるビセンス邸から少なくとも市の建築最優秀年度賞を受けたカサ・カルベに至るガウディの作風の流れに比べ、何とソフィスティケイトされたデザインであろうか。これを建築家の円熟とみてよいのだろうか。それとも彼自身の人生の成熟あるいは人間観の…

ジャコボ・フィオレンティーノ

通称、インダコ (スペイン名フランシスコ・フロリンティン) Jacobo Fiorentino/Indaco/Francisco Florentín 生:不詳 没:Villena[アリカンテ]/1526年 フィレンツェの建、彫、画。ミケランジェロ*の友人。スペインに移住し、あらゆる分野で活躍。建築家…

一般論を上回るラ・ペドレラ

さてラ・ペドレラはこのガウディが説く快適な住宅の床面積の二倍半を持ち、廊下、コリドール、階段は一.二〜二.〇メートルというゆとりを持たせ、寝室は静かであり、換気効率も高い内パティオ側に面して並置され、浴室とトイレは同一空間に収められその配置…

アントニオ=マティアス・フィゲロア

Antonio-Matías Figueroa, セビリア/1734年頃〜96年頃)はマティアス=ホセの甥で、アンブローシオの子と考えられている。ボジュジョス・パル・デル・コンダード教会のファサードとカラフルな塔を建ち上げた(Bollullos Par del Condado, 1775〜79年)。ウエ…

アンブローシオ・フィゲロア

Ambrosio Figueroaセビージャ/1700頃〜75年)はセビージャのカルトジオ会修道院の一般参拝者の礼拝堂とそのポーティコ(Cartuja, 1752〜58年)そしてエル・アラバル・デ・セビージャのサンタ・マリア・マグダレーナ教会(Santa Marラバル・デ・セビージャの…

ガウディの住宅論

著作を何ら残していないガウディの建築論を再構するのは、ほとんど不可能であるが、それを助けてくれる弟子ベルゴスが書き取ったノートがあり、それよりかいつまんでみれば、快適な住宅は一戸百五十㎡が必要で、工夫すれば一二〇㎡まで可能だが、二階建てに…

実現されたプロジェクト

これに対して第二のプロジェクトというのは、ほぼ実現されたものに近い性格を持っている。 つまり、パーキングを地下に持っていく方法である。 そして二つのパティオを開けてそれを囲むように住居空間を配置するものである。 各フラットは四分されるが、各戸は…

マティアス=ホセ・フィゲロア

Matías José Figueroa セビージャ/1698頃〜1765年頃)はサン・パブロの教会(Iglesia de Santa María Magdalena)とサン・テルモの宮殿(Palacio de San Telmo)で父レオナルドと仕事をともにする。後者では1722年に第1助手に任命され1730年、父親の没後は工事…

ふたつのプロジェクト

ガウディはラ・ペドレラのために二つのプロジェクトを案出している。 第一のそれは中央に一つのパティオを置いたもので、そのパティオに沿って二つの、つまり上りと下りのスロープを付属させることによって屋外から直接各戸まで街路を引き込もうという驚くべ…

フィゲロア一族

Figueroa スペインの建一族。セビージャでバロックそしてクラシシズムを予告させる活動をしている。●レオナルド(Leonardo, Utiel[バレンシア]/1650頃〜セビージャ/1730年)一族中最も秀でたこの建築家は1670〜75年頃にセビージャに住み始める。彼の代表…

アントニオ・フェレール・ゴメス

Antonio Ferrer Gómez19世紀活動。 スペインの建。マドリッドのサン・フェルナンド・アカデミーで建築を学ぶ。1877年にバレンシア県庁の建築官となり、1890年には同県内のトゥリア(Turia)の建築官となる。モヘンテの教区教会(Mogente, Valencia)、ハティバの…

時代は変わっていた

しかし、このガウディが迎えた黄金期における彼が成し得た個性に対して、ヨーロッパやアメリカでは新たな傾向が、しかも後の支配的な傾向というものが推進されていた。 ワーグナーのウィーン郵便貯金銀行(一九〇四〜〇六年)はカサ・バトリョと時を同じくしてい…

ラ・ペドレラの規模

また、人生のうえでもミラ家のような名門から仕事を受けるようになって、若い頃夢見た「仕事を愛し、金持ちになること」をもある程度実現させたし、サグラダ・ファミリア教会の建築家として、またパセオ・デ・グラシア街という当時のバルセロナ市の繁華街に二つ…

エンリッケ

Maestro Enrique没:ブルゴス/1277年 フランス出身の長でスペインに行き1240年頃以降、ブルゴスのカテドラル(Burgos)の建設に従事。1255年頃にはレオンのカテドラル(León)の建設に着手するために呼ばれているが、両方ともファン・ペレス(Juan Pérez)…

ガウディの最後の作品

カサ・ミラという正式名称のようにミラ邸を主階に置くミラ家の不動産として、この建物は一九〇六年から一九一〇年の間に建てられたが、一九四六年以降はある不動産会杜の名義となり 、一九五五年には屋上階が建築家バルバ・コルシーニ の手によって十四の賃貸…

アントン・エガス

Antón Egas 生:トレド/1475年頃 没1531年)エンリケの弟アントンはより知性に富んだ作家で、エンリッケと1534年まで協働し、トレドの街のムデハル的な面影をゴシック的な街並みをつくる役を果たした。1496年にはトレドのカテドラルの建築長になっている。 14…

エンリッケ・デ・エガス

Enrique de Egas 生:Toledo?/1455年頃 没:Toledo/1534年頃 スペインの建。ブリュッセル出身の彫刻家エガス・クエマン(Egas Cueman, 活動1448〜94年)はスペイン帝国に移り住む。その子は宗教建築のスペイン国内の膨大な量の需要時期に出会った。つまり…

第四章 ラ・ペドレラ

建物のリサイクル 「この建物が将米一大ホテルへ転用されたとしても私は少しも不思議とは思いません。 そのために平面構成の変更が容易であるように考慮してあるし、また洗面所もたくさん設けてあるのです。」 −ガウディ− こうしてガウディが半世紀以前に予見し…

マエストロ・デ・オブラに代わる建築家の活躍

プーチ・イ・カダファルクのカサ・アマトリェのデッサン 同カサ・アマヤのデッサン 一八八〇年学芸協会は芸術の工業へのアプリケートを問うアイディア・コンペを催し、時代の要求を提示しようと企てていた。 こういった新しいカタルーニャのフォーカスとなった…

アロンソ・デ・コバルビアス

Alonso de Covarrubias 生:Torrijos[トレド]/1488年 没:トレド/1570年 スペインの建、彫。エンリッケ・デ・エガス*の弟子。プラテレスコやルネサンス様式を器用に使った装飾の作品を初期につくっているが、次期にはフランシスコ・デ・ビジャルパンド(F…

モデルニスモの反旗

セルダ案の的確なフォンセレによる判断は、実は一七六八年以降リクラ侯によって塁壁都市バルセロナで試された、ファサードの平面性を取り戻し、街路にあふれた混乱を整備しようという勧告条例に象徴される、工業時代特有のメンタリティーから生まれている。 …

フランシスコ・デ・コロニア

Francisco de Colonia生:1470年頃 没:1542年 フランシスコはシモンの子でブルゴスのカテドラルのランタン部の建設を始めるがその完成を待たずに死んでいる。またルネサンス・スタイルでカテドラルのひとつの門ペジェヘリーア(Pellejería)を建設している…

シモン・デ・コロニア

ファンは5人の子供をもうけたがそのうちそのうち●シモン(Simón, 1450年頃〜1511年頃没)は1488年に父が着工したミラフローレス修道院を完成させ、ブルゴスのカテドラルでは1481年に工事長に任命され、ここでは周歩廊の中央部にコンデスタブレの祭室(Conde…

フォンセレの建築

このなかで、シウタデーリャ要塞の跡地にセルダ案のグリッド延長という形でいくつかの中層住宅をフォンセレは建てている。 どこまでも遠々と続く、繰り返し、繰り返し使われるファサード、ここでは面と線が同義であり、線が点の集合として明確に読み取ること…

シウタデーリャのフォンセレ

一八六九年エイシャンプレ計画が進行していた時、カタルーニャ人たちにとっては中央政府の圧力の象徴であったシウタデーリャの要塞が取り壊せるという認可が舞い込んでくる 。 市民にとっては念願のこの取り壊わしに、市は翌年公園として再利用するために国際…

コロニア家

Colonia 活動:15〜16世紀 ケルン出身(ケルンはスペイン語でコロニア)のこの建一族はブルゴス(Burgos)に居を構え、スペイン後期・ゴシックの名作といわれるブルゴスのカテドラル建設に従事。●ファン(Juan, 1410〜81年)はバーゼル公会議後(1431〜49年)…

セルダ設計の住宅

セルダが運営していた「バルセロナ拡張奨励協会」はみずからもエイシャンプレの土地所有者となって住宅建築をしていたが、そのうちセルダ自身が設計したと考えられる建物がある 。 この建物は採光がすべての室に行き届くという配慮から奥行きが十メートル、角地…