リポールのオリーバ/Oliva de Ripoll

オリーバはバルセローナ伯の子として生まれ、いくつかの領地を治めるが、21歳という若さで、リポールの僧院へ入り、俗界との関係を絶ってしまう。その後たび重ねてローマへの旅をし、リポールやクシャの修道院にさまざまな特権や免除を法王から願い受けたり、新たに司教座を設置することに尽力し、1018年にはビィック(Vic)の司教に就く。以降、ビィック、クシャ、リポールの修道院長を歴任しているが、彼は多くの廃村を再興させ、教会を整備させ、文学的貢献を残し、その死はカタルーニャ中世を嘆かせている。
さて、このオリーバ司教は、リポールの教会を1032年、クシャの教会を1035年、ビィックのカテドラルを1038年に、当時国際様式化していたロンバルディア様式をもって修復し、奉納しているのである。
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リポールの修道院正面ファサード。ポーティコの奥にあるメインエントランスの彫刻を保存するためにガラスが張られているが、この工事中。
1973年3月撮影