カタルーニャ・ロマネスクの宝珠/Joya de Románico Catalán

ほとんどオリーバの事業と時を同じくしてサン・ビセンテ・デ・カルドーナ(S. Vicente de Cardona,1019〜1040年)が建てられていたが、こちらの方はまったくゴシックのカテドラルのような論理的な構造法でもって建てられている 。
そしてセオ・デ・ウルヘルのカテドラル(Seo de Urgel,1131年建設開始 )は、最後のロンバルディア様式の教会であり、タウルのサン・クレメント(S. Clemente de Tahull,1123年奉納)は実際の建設年代より、1世紀ほど前の空間構成を保守し、アプスに描かれた、カタルーニャ派のロマネスク壁画とともに、ひとつの完成された、カタルーニャ・ロマネスクの美をいまに伝えている。
というのも、このピレネー山中のタウルには、12世紀回教徒の手からのがれた一団の僧があり、その事情が様式を1世紀ほども温存させたのである。彼らは2寺院を奉納しており、サン・クレメント教会の起源はそれを遡る9世紀である。
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タウイのサン・クレメンテ教会。
この壁画は20世紀始めに剥がされてバルセロナカタルーニャ美術館MNACに展示されている。
1974年撮影

1974年4月のタウイの村

タウイのもう一つ残っている教会

そのサンタ・マリア教会内部

スキー場ができる前の村はひっそりとしたたたずまいでした。今はUNESCOの人類の遺産に選定されていて、更に趣が無くなっています。
1977年11月7日撮影

現在カタルーニャ美術館に保存されているがもともとはサン・クレメンテ教会にあった壁画。

2005年7月11日撮影

サン・クレメント教会Sant Clement
1123年奉納。中世のカタロニアには、人口100人に対してひとつの割で教会堂があったといわれている。カタロニアに入った回教徒たちと戦ってレコンキスタを遂げた人たちもいたのだが、回教徒たちの軍事力を恐れたカタロニア人たちの多くは、遠くガリシア地方GaliciaやピレネーPrineuの山懐にまで逃げ込んだ。この小さなタウイの村にも、2堂の教会堂が残されているが(もともとは3堂あった)、これも彼らの子孫が建てたものだ。こんなわけで、外界から文化的に遮断されたボイ渓谷Vall de Boiの一連の教会堂は、12世紀に入ってもロマネスクのスタイルで建てられていた。それらは会堂の洗練されたスタイルと、地方的な完成された解釈、その上自然への従順ささえ踏まえ、比類のない逸品を生み出している。何といっても「全能の神キリスト」(パントクラトールPantocàtor)を描いたフレスコ画であまりに有名な教会である。このアプスに描かれた壁画は、1923年にバルセローナのカタロニア美術館Museu d´Art de Catalunyaに展示するため、はぎ取られ、移された(近年元に戻そうという運動があるが)。中央にイエスが描かれ、左下に聖母マリア、更にその両側に5使徒が描かれていた事がそのレプリカからわかる。右端は残っていない。アブストラクトなまでに様式化されたおの壁画は、ヴォールトの頂点に当たるところに描かれた「神の手」にも見られる。この村にあるもうひとつのロマネスクのサンタ・マリアの教会Santa Mariaも見逃したくない。
『我が街バルセローナ』TOTO出版
30〜31ページより