ガウディのマジョルカ島パルマのカテドラル計画/Intervensión de Gaudí en Catedral de Palma

ちょっと脱線しますが・・・・・。

4/7 マジョルカ島カテドラル修復
ほとんどグエル公園の建設と時を同じくして、マジョルカ島パルマの修復という仕事をしている。
カテドラルはハイメ一世の子ハイメ二世によって十三世紀後半に建設が始まり、十四世紀にほとんどかんせいしたもので、中央身廊の高さ四十四メートル、それを九つのバットレスで支えたもので、主正面の直径十メートルのバラ窓はキリスト教会中最大のものであるといわれ、その巨大なヴォリュームに表出したバットレスの連続に象徴されたカタルーニャゴシック建築の合理性を明示したモニュメントとして評価されている。
一九〇一年夏、当時のマジョルカ島パルマの司教ペドロ・カンピンスPedro Campins(一八五九〜一九一五年)はローマを訪ねるに当たり、バルセロナへ出たときそこで建設中の贖罪教会とその建築家を訪問し、すっかりその高名な建築家を気に入ってしまい、特に彼の説く典礼式研究に強い興味を引かれて、自分のパルマのカテドラルに典礼の改革をしようという考えを持つのであった。
司教はローマの帰途オルヴィエト、フィレンツェボローニャ、モンペジェーなどの都市を訪れ、つぶさにそれらのカテドラルの典礼式を見て、いよいよのこと決意を固めるのであった。そしてマジョルカへの帰途再びバルセロナを訪れた司教は、ガウディにそのカテドラルの修復を依頼するのであった。ガウディはこれを快く引き受け、同月つまり一九〇二年三月二十六日、マジョルカ島パルマを訪れている。
その三日後ガウディは予備計画をつくりあげ、司教をはじめとするマジョルカの有力者を前に計画案を説明し、同年八月十三日には木製の模型を議会に提出している。ガウディの修復計画は次のようなものであった。最大礼拝堂にあるバロック風の祭壇、およびその背後のゴシックの残物を取り除くこと、司教席を表出させること、三位一体の礼拝堂を取り外すこと、絵画、ステンドグラスなどにより装飾を付け加えることなどであった。

『ガウディの生涯』
1978年、彰国社刊、206ページより

僧籍に付けられた装飾。

僧籍に付けられた装飾。これはジュジョールがいたからこそできたデザインだろう。

祭壇司教のためにデザインされた椅子。

説教台

三原色を使ったステンドグラス。後にサグラダファミリア教会で転用

最大礼拝堂があった部分、鉄細工もガウディが設計。

司教席上部に下げられた天蓋

僧籍は外し、最大礼拝堂を取り除いたために、すべてが見渡せるすっきりとしたインテリアになった。