ゴシック市井建築/Arquitectura Gótica civíl

しかしこの章頭で述べたように、カタルーニャ・ゴシックはブルジョア文化に支えられていたため、一連の非宗教建築の華麗な発展をみるのである。
例えば、海外貿易の発達にともない、商業取引の契約の場、そして商人たちの集会の場であるロッジャがある。といってもイタリア・スタイルの開放的な教会のアーケードを思わせるタイプより 、閉鎖的なタイプがカタルーニャでは好まれ、14世紀末から各地で建設された。トルトーサ(Tortosa,1368年)、バルセローナ(1380〜1392年)、パルマ(1426〜1451年)、バレンシア(Valencia,1482年)、サラゴサ(Zaragoza,1550年)、のものが、それらのうち代表的はものであるが、パルマのロッジャがもっとも美しい。
これは当時の代表的な建築家サグレラ(Guillén de Sagrera,〜1456年)の設計によるもので、矩形平面の四隅に塔を置き、2列の6本の円柱によって構成された古典的なプロポーションをもつ建物である。このサグレラはマジョルカ生まれで、そのカテドラルに働いて、ペルピニャン のカテドラル、ロッジャなどを手掛けているが、1448年頃アルフォンソV世の召喚によって、ナポリへ渡り、カステル・ヌオヴォを設計している。サグレラのロッジャにもっとも影響を受けたのが、半世紀後に建設が始まったバレンシアのペドロ・コンプテ(Pedro Compte)によるロッジャであろう。
ここでマジョルカン・ゴシックというものに触れなければならないだろうが、マジョルカのベズベルの城(Bellver)、ペルピニャン のマジョルカ王宮(Palais des rois de Majorque)などを掲げておくにとどめる。また非宗教建築群が、もっとも今日までよく保存されて、当時をいまに伝えるのはバルセローナの王の広場である。


パルマのロッジャ

ペルピニャンのマジョルカ王の宮殿

バレンシアのロッジャ

バルセロナの旧市街に残っている王の広場。左手が宮殿、正面がサロン、右手が教会。

王の広場 Plaza del Rey (Plaça del Re)
市歴史博物館とフェデリコ・マレース美術館のあいだにある小さな広場で、ゴシック地区の圧巻。正面の階段はかつてコロンブスが、苦難の航海を終え、新大陸のお土産をたずさえて、王女との謁見に昇ったところ。
ここはバルセローナ歴代の伯爵館が、そしてアラゴン王の館があったところであり、現在も残っているのは階段左のティネルの間、右のサンタ・アゲーダの礼拝堂(Capilla de Santa Ageda)、それに細長い搭状の建物がマルティン王の眺楼(Miarador del Martín) , その左がアラゴン王国の文書館(Archivo de Corona de Aragón)である。
ティネルの間は幅17メートル、奥行き33.5メートル、六つのアーチで構成された14世紀の建物で、コロンブスをはじめとする歴史的エピソードがつくられたところ。サンタ・アゲーダの礼拝堂は王宮に付随して14世紀に建てられ、15世紀のジャウメ・ウゲッ(Jaume Huget)によるコンデスタブレの祭壇と美しい木組みの天井は見もの。現在アラゴン王国文書保管館となっている左端の建物は、ジョクティネントの館(Lloctinent)として16世紀に建てられたものだが、そのパティオの階段と天井はアラゴン王国の昔日の栄光を今に伝えている。

スペインの旅1977年初版本より
161ページ

王の広場Plaça del Rei
正面奥にはゴシック期の名作でティネイのサロンSaló del Tinell(ギジェム・カルボネイGuillermo Carbonell作、1359〜70年建設)、その上部にはマルティ王の見物Mirador del Rei Martí(1546〜49年)、左手にはサンタ・アゲダの礼拝堂Capella de Santa Agueda(ベルトラ・デ・リケールBertra de Riquerによって1302年建設開始)とまさにゴシック地区Barri Góticの圧巻。現在では、これに現代彫刻家エドゥアルド・チジーダEduardo Chillidaの作品が加えられて、広場に新風を吹き込んでいる。

わが街バルセローナ TOTO出版
207ページより

2011年5月15日撮影