ヒル・デ・オンタニョン/Gil de Hontañón

サラマンカには「貝殻の家 」やサン・エステバンの教会 といったゴシックの構成にルネッサンスの装飾をつけたプラテレスコから、ロドリーゴヒル・デ・オンタニョン(Rodrigo Gil de Hontañón,1577年没)のモンテレイ宮(Monterrey,1539年 Fray Martín de Santiagoとともに設計)のような、線を単純化し、オーナメントの発言力をより強調したプラテレスコまである。
ロドリーゴの父ファンはサラマンカのカテドラル主正面ファサード(1513〜1531年)の作者で、あきらかにイサベリーノの性格を示しているが、その子ロドリーゴはよりルネッサンス化し、モンテレイ宮を設計するが、彼の代表作はアルカラ・デ・エナーレス大学(Alcalá de Henares)のファサードである。
この大学は1497年に設立され、1508年に新校舎開設準備がととのっていたのだが、時の王、フェルナンドはこのレンガで造られた貧相な建物を、学問の舎としてふさわしくないという不服をもらしたという。それを1540年になって実現させたのが若きオンタニョンである。そこには完全なシンメトリックが使われ、線は選び抜かれ、整頓され、まさしく純化されたロドリーゴのオーナメントの文典をひもといているかのようである。
162ページ


サラマンカの貝殻の家
1992年6月撮影

貝殻の家のファサードは貝殻や鉄細工の影がファサードに落とし表情を刻々と変えていく。
1992年6月撮影

2011年3月撮影


モンテレイ
1981年9月10日撮影


アルカラ・デ・エナーレスの大学正面ファサード


同大学のパティオ

サラマンカの新カテドラル
2011年3月撮影

ヒル・デ・オンタニョン、ファン
Juan Gil de Hontañón
生:1480年頃 没:サラマンカ?/1526年
 スペインの建。石大工として働き始め、ファン・デ・コロニア*と協働したこともある。サラマンカの新カテドラルの建築長に任命され(1512年)、これをゴシック様式によって建設を始めている。またセゴビアのカテドラルにも着手している。●ロドリーゴ(Rodrigo, Rascafria[サンタンデール]/1500頃〜セゴビア/77年)はその長子で両工事を引き継ぎ、プラテレスコ時代の代表的建築家となる。サンチャゴ・デ・コンポステーラのカテドラルの回廊の主な部分を建設(1540年)、サラマンカではモンテルレイ宮の設計(Monterrey, 1539年、僧侶マルティン・デ・サンティアゴ/Martín de Santiagoとの協働)、ラ・サリーナ邸(La Salina、1519年)、そして多くの建築家が手本としたファサード、ラス・ベルナルダス教会(Las Bernardas、1552年)も手掛けている。レオンのグスマン宮(Guzmán, 1559〜66年)のほか、アルカラ・デ・エナーレス大学のファサード(Alcalá de Henares, 1541〜53年)を残している。後者は付け柱によって5分割されており、その中央にはギャラリーが上部に付き三角形のタンパンでこれが切断されている。

三交社刊『建築家人名事典
159〜161ページより

Salamancaのカテドラル
旧カテドラル
スペイン・ロマネスク建築中最も気品あるものと言われている。12世紀のロマネスクからゴシックへの移行期の様式で建設が始まり。13世紀中葉に完成されている。3身廊形式でトランセプトを持ち、3つの半円形の天蓋をもち、頂塔を例外として全体はブルゴーニュ様式と関係が深く、Galloの塔はサモーラのカテドラルの模倣のようで、他にはPérigord(Périgueux)−ロマネスク教会で有名なフランスの地名―のカテドラルの汎用でもあるかのようだ。
12世紀に造られた回廊は残念ながら18世紀に改装され、ネオ・クラシシズム様式の庭へとつながっている。

新カテドラル
スペイン・ゴシック建築の典型である新カテドラルは1509年カトリック王Gapítuloの発起に始まり、Antón Egasに計画の企画が委ねられた。1510年にその建築家Antón Egas(セビリアのカテドラルの作家)とAlonso Rodríguezが計画を練り始めている。さらに1512年にはAntón Egas(トレド), Juan Gil de Hontañón, Juan de Badajoz(トレド), Juan de Alova, Juan de Orozeo, Alonso de Covarrubias, Juan Tornero, Rodrigo de Saravia そしてJuan Camperoが集まり計画を審議する協議会が開かれた。ところが新しいカテドラルの構想は参加者の意見がまとまらないままに多くに時間経ってしまい、その協議会の3日後にはJuan Gil de Hontañónへ実施設計の依頼が決まった。スペインのカテドラル建築の巨匠であるJuan Camperが更にこれに参加を命じられた。Juan Gil de Hontañónは主正面から建設に着工して、死後はその息子Rodrigo Gilがそれを受け継いでいる。1560年には交差廊が完成し、ミサが挙行された。1588年になってカテドラルの建設続行にあたって更に古いスタイルで建設続行が進められようとしたが、ゴシックを踏襲することに決まった。それに続いてレオンの巨匠Juna de Ribero Rodaがその初期のプランを変更し、正4角形のプランに変更している。1705年José Churrigueraはトランセプトの天蓋を完成、鐘塔も完成させている。
そしてついに1733年にこのカテドラルは完成している。実に221年の歳月が費やされた。トランセプトによる広々とした、3身廊形式で矩形プランという巨大な建築になった。側面の礼拝堂はバットレスの間に詰め込まれた形になり、高さの違った身廊は、モールディングで飾り付けられた柱、星形リブで稜線が描かれた天蓋が乗っている。それぞれの門は見るべきもので、西側のそれは紋章と金属の像によって飾りつけられている。中央のそれはイエスのご誕生と東方3賢人、幼少イエスの礼拝堂のレリーフがあり、それらの上には聖母マリアとキリストの十字の姿が見られる。北側はローマ風でサン・ペドロとサン・ポブレの像の間にイエスエルサレム入りの美しいレリーフが見られる。
百十数メートルの高さのあるRodrigo de Hontañónによる鐘塔はトレドのそれを真似たようであり、1755年のリスボンの大地震をきっかけに補強工事がされている。

Catedrales de Españaより 1971年翻訳


サラマンカで食べたサラダ。上に乗っているのはカツオ。そして赤ピーマン

たらのあごの部分だけを天ぷらにしたもの

サラマンカの駅のバーで食べた昼食。これ全部で3ユーロ。久しぶりに、びっくりするほど安い食事でした。チーズ、生ハムもB級グルメですが、おいしかったですね、
2011年3月撮影