アルハンブラへの冒瀆か カルロス五世宮の建設/Palacio de Carlos V


カルロス5世宮
1990年10月撮影
半島でのルネッサンスの第二過程はクラシシズムへの接近、ピューリズムへの到達である。その記念碑がアルハンブラ宮というとてつもない場所に建てられた、未完のカルロスV世宮である。
1492年のアルハンブラ無血開城の際、宮内へ乗り込んだ最初の兵士のひとりは、この世のものとは思えない華麗さに驚き「セビィージャのアルカサールがバラックに見えた」と書き残しているし、カトリック両王ですらその美しさを保存しようという勅令を出しているのである 。
ところが1526年ここを訪れたカルロスV世は、自己の権力とキリスト教文化を誇示するために、アルハンブラ宮内にそれに見劣りしない一大宮殿を建てようと思いついたのである。これがカルロスV世宮である。しかもその逆転した社会を利用して、回教徒たちのターバン携帯を認可するという条件にかわって建設を彼らに当たらせたのである。
計画案は同年に完成した。建築家はペドロ・マチューカ(Pedro Machuca,1490〜1550年)という画家である。マチューカはミケランジェロの弟子としてローマに学び、いくつかの小さな仕事をイタリアでしたのだが、1521年頃スペインに戻り、画家として祭壇などいくつかを手掛けている。なぜカルロスV世がマチューカを建築家として起用したのか、またマチューカ自身についてもよくわかっていない。
宮は一辺63メートルの四角形で、それに直径30メートルという円形のパティオが、ドーリア式とイオニア式の整然とした円柱に包まれてある。まさしくクラシシズムとプーリズムへの接近を如実に示している。
このプランはラファエルの「ヴィラ・マダマ」にわずか10年遅れたもので、円形パティオの均衡と調和は、洗練された盛期イタリア・ルネッサンスの特徴をあますことなく示しているが、ファサードにもて遊ばれた光のコントラストはすでにマニエリズムの到来を暗示しているようである 。
166ページ


マチューカによる新しいアルハンブラのアクセスであるグラナードスの門が作られた。
1994年5月撮影

もともとのアルハンブラの入り口である裁きの門とマチューカのピラル・デ・カルロスV。イスラム時代とのコントラスト。しかし、暴挙であったのかもしれない。昔は子供は夏はこうして裸で遊んでいました。
1971年7月29日撮影

2006年2月19日撮影


カルロス五世宮パティオ
2006年2月19日撮影

1994年5月撮影

2000年3月撮影

ファサード部分
2005年2月11日撮影

マチューカ、ペドロPedro Machuca
生:トレド/不詳 没:グラナダ/1550年
 スペインの建、画。貴族の家庭に生まれる。建築を学ぶために長年イタリアに滞在。ミケランジェロ*の弟子ともなる。1520年スペインに戻るとグラナダの王室礼拝堂の画家として働く。またハエンのカテドラル、ウクレスのサンチャゴ騎士団のために働いている。ただし、マチューカは建築のギルドに入っていなかったため、建築に関係していたにもかかわらず、直接タッチすることができなかった。その例外として1526年のカール5世(在位1519〜56年)がグラナダ訪問した時、アルハンブラ宮内に宮殿(後のカルロス5世宮と呼ばれるもの、1527〜92年)の建設を思い立ったが、これがマチューカに依頼され、作品を自ら実現することができた。この宮はイタリアン・ルネサンスのスペインでの唯一の作品といわれている。マチューカの死によってその子●ルイス(Luis)が建設を続行させるが、ウィトル−ウィウス*を知り、イタリア建築(特にブラマンテ*とラッファエッロ*)に通じていたことがこの作品からわかる。またアルハンブラ宮内ではこのほかカルロス5世の噴水、グラナダの門が彼の手になっている。

チューロ/Churro
ロッコに行ったときもこれが村では朝ごはんに出てきました。なんかの茎を使ってこれをリングの部分に差し込んで渡してくれました。スペインではたいていはごわごわの紙で作ったコーンにこれを入れてくれます。
1990年10月撮影

アルハンブラ宮殿
ジプシーの靴磨きの子どもたちがたむろしているフランコ広場(Pl. Generalísimo Franco・通称ヌエバ広場Pl. Nueva)から右に入るゴメーレスの坂(Cuesta de Gomérez)がアルハンブラへの入口である。両側に並ぶみやげ物店のなかでも興味を引くのは、手作りの作業が見られるギター店である。三〇〇メートルほど登ると小さな石の門に着く。門の上には街の名にちなんで三つのザクロ(スペイン語でGranadaという)が彫られ、その名もグラナダスの門(Puerta de las Granadas)と呼ばれている。カルロス五世宮を造ったペドロ・マチューカ(Pedro Machuca・15世紀末〜一五五〇年)の作品。門をくぐるともうそこはアルハンブラの森。うっそうと茂るポプラの木々の間から聞こえる小鳥の声に混じって道の両側を流れる水音が快く響き、はやくも宮殿への幻想をかきたてられる。
3本のうち宮殿へ向かうのは一番左の坂道で、ここからは5分も歩くと左に長方形の水飲み場が見える。ピラル・デ・カルロス五世(マチューカ作)と呼ばれ、ここを左に曲がるとアルハンブラ最初の門、裁きの門(Puerta de la Justicia)だ。・・・・・・・
スペインの旅』初版本より
95ページ

最近ではこのヌエバ広場からのアクセスが、あまり使われていません。観光客が大幅に増え、これに従い町の反対側に大型パーキングができ、こちらからのアクセスがメインになってしまいました。町中からケーブルカーで観光客を運び上げようというプロジェクトもありました。しかしゴメーレスの坂からのアクセスが一番好きです。