ビジャヌエバのプラド/Villanueva en Paseo de Prado


プラド美術館
1971年撮影

サバティーニはローマ的なクラシシズムから、ネオ・クラシシズムの終局であるギリシャ的なクラシシズムへとサン・フェルナンドアカデミーを動かせてゆくが、そこから育ち、ローマで7年間 学んだファン・デ・ビジャヌエバ(Juan de Villanueva,1739〜1811年)がそれを実現させる。1768年には前年にホセ・デ・エルモシージャとともにコルドバグラナダの回教遺跡のデッサン展 開催というきっかけで宮廷サークルに接近し、エスコリアルの建築家として任命される。
ここで“カシータ・デ・アリーバ”(1773年)というパラッディオの“ロトンダ”風の小建築を建て明らかにサバティーニの作風から脱し、ネオ・クラシシズムの頂点へと向かわせている。その代表作であり、スペイン・ネオ・クラシシズムの代表作でもあるプラド美術館(Prado,Madrid)は、1784年、自然科学博物館としていくつかの小建築の複合に考えられたのだが、ビジャヌエバの提案した1787年の案では単一に、しかも明確な単純性と構成の合理性を表示している。
中央の正面入口を中心にシンメトリーで両端に矩形のマッスを置き、それを細長い廊下で結ぶというもので、そのために生まれる長い主正面は、エスコリアル修道宮からインスピレーションを得たドーリア式の列柱と、切り込み、そして彫像といったもので整頓され、光と影を表現として使った「陰の建築」となった。

パルド宮、現在のプラド美術館は当時の新市街を飾るモニュメンタルな建築として構想、用途は二転三転し、最終的に現在の公開美術館となっている。
1997年6月撮影

■ビジャヌエバ、ファン・デ
Juan de Villanueva
生:マドリッド/1739年 没:1811年
 スペインの建。彫刻家の父●ファン(Juan, Pola de Siero[アストゥリアス]/1681〜マドリッド/1765年)と建築家の兄●ディエゴ(Diego, 1715〜74年)を持つ。ネオ・クラシックの代表的スペインの建築家。奨学金をもらいローマに7年間住み、1765年スペインに戻って宮廷に出入りするようになる。1766年、ホセ・デ・エルモシージャス(José de Hermosillas)とコルドバグラナダへ『古代のアラブ(Los Antigüedades Arabe)』出版のスケッチをするために旅行(1804年刊)。エル・エスコリアルでヒエロニムス会の建築家に任命され、親王家の家(1771年)、巨人の家(1785年)、エル・エスコリアル宮北翼の階段(El Escorial, 1793年)、王子の小宮(1773年)などをデザインしている。後者2作品やパルド宮(Pardo, 1784年)が代表作となる。1785年、後に彼の最高の作品となる現在のプラド美術館の前身である自然史博物館の設計依頼があり、変更に変更を重ね、87年に設計を完了している。マドリッドでの彼の晩年の作は歴史アカデミー(1788年)、カバジェーロ・デ・グラシアの祈念所(Caballero de Gracia, 1789年)、天体観測所(1790年)がある。

三交社刊『建築家人名事典』より

プラドの散歩道Paseo del Prado
2011年5月9日撮影